趣味でクルマを転がす方々も多いであろう。気の合う仲間とクルマ趣味で徹夜できるのも楽しいものだ。きっと皆子供に戻ったように目を輝かせて、世の中のごたごたなんかすべて忘却の彼方に押しやってワイワイやっているのだろう。そんなド素人のクルマオタクの独断と偏見に満ち満ちた文章をお届けしたい。
 まず第一回として、クルマと人の相性について述べてみたい。買ってすぐ事故って、あのクルマとは相性が悪かったなんて云っている人もいる。相性なんてそんなものだろうか?相性の善し悪しなんて私に言わすと、コックピットに座った瞬間に解かる場合と、転がしてクルマと理解しあって解かる場合と、クルマと別れて初めて解かる場合が在るように思う(ああ、シロウトの勝手)。まるで男女関係のようだ。そういえばイタリア語でクルマは女性名詞である。男は女に惚れるものである・・・・・・・。
 脱線を修正しよう。実際ショールームで運転席に座った瞬間何か心がときめいてきたことがあった。思い当たる方もおられることと思う。事実、後日同じクルマを試乗してみると決して期待を裏切らなかったのである。全くの一目惚れ(R-32、E-30M3、ALFA156、P-10には惚れちまった)。
次に買った当初はそうでもなかったのに、走らせるうちに互いに理解しあって相性が良くなる場合を書いてみたい。例えば、親に強いられた結婚であっても永年連れ添ってだんだん仲睦まじく夫婦に近いと思う。野球のバッテリーでもこういった場合があるようだ。感情も有機性も無いタダの機械相手かも知れないが、クルマを愛する方々には解かっていただけることと思う(初めての愛車TA-57がそうだった)。
 手放して初めてそのクルマの良さが、自分との相性の良さが分かることもある。まるで男女の仲。何らかの理由で別離た後、一緒に過ごした月日以上に相手を愛しく思う時、失恋して落ち込むパターンであるが、これとそっくりなように思う。
 本当にまとまりの無い浅薄な文章を書いてしまったが、例え、心の無い機械であるであるクルマであっても、幼な児のどんなに汚くなっても手放そうとしない縫いぐるみであっても、相性の良い相手に対する愛着慈しみは、決して人を愛する心と甲乙つけ難いものなのである。だから、他人が自分の嫌いなクルマについて自慢しても、決してけなしたりしないでいきたい。むしろそのクルマの良い所を認めてあげたい。趣味の方向性、範囲、深さ、は人それぞれであり否定するのはその人の人格否定にもなりかねない。他人の趣味を容認して初めて、その人の趣味もまた豊かになるのである。
(2002年7月)
平田先生
私は元来楽天家であり基本的には個人主義(悪くいえば利己主義)的な人間である。しかし、この楽天家である自分が最近非常に心配し不安に思っている事がある。それは、今年度(2002年度)より始まった『新学習指導要領』の実態だ。もちろん以前より学校教育に対する問題点は色々とあった。例えば学級崩壊の問題。また「七・五・三」の問題(これは小学校の七割、中学校の五割、高校に至っては三割の生徒しか学習内容を理解していない事)。現場の教師の質の問題。親の質の問題。PTAの問題(これは一昨年小学校のPTAの会長をし痛感した)など色々とあるが、先程述べた様に私自身は個人(利己?)主義的な所があるので『自分自身さえしっかりと自分の子供達を育てていけばよかろう』とあまり深く考えた事はなかった。しかしこの新学習指導要領というものがどんな物か、調べれば調べる程、大袈裟に言えば日本自体がダメになってしまうのではないかという憂うつな気分になってしまう。ではこの『新学習指導要領』とはどう言ったものであろうか。一言で言えば子供達に勉強させないのである。教育内容が約3割削減され、授業時間が2割も削減される。例えば小学校では3桁×3桁の掛け算や4桁どうしの足し算や引き算がなくなる(千円札で買物をしておつりの計算はどうするのかな)。また小数第二位以下も扱わなくなり円周率も「およそ3」として計算させられる。分数についても割る数と掛ける数が単位分数(分子が1の分数)の場合しか分数の掛け算と割り算を日本の子供達は学ばなくなる。この様な計算軽視のカリキュラムを文科省は「考える力をつけるため」と主張しているらしいが、この主張に疑問を抱く人は多いだろう。考える力をつけると言いながらカリキュラムの削減の仕方がまちまちであるため、計算力だけでなく考える力まで奪ってしまう。カリキュラムが簡単になる事で前述した「七・五・三」の問題も解消されると文科省は主張しているが、これも疑問だ。というのはこの三割削減を受ける前からすでに日本のカリキュラムや授業時間は先進国やアジアの新興開発国に比べて少ないものであるからだ。今現在子供達の学力低下が問題にされ国際的な危機的状況にあるのにこれ以上削減されたら日本の将来はどうなっていくかは考えるだけで恐ろしい話である。
次に子供の自発性や個性・創造性つまり「生きる力」を重視し総合学習という時間が導入された。色々な課題を自分達で考え学習を体験的活動を取り入れながら行う魅力的なものである。しかしこの総合学習の考え方はすでに大正自由教育の風潮の中で一部師範学校の付属校での成功を基に総合学習が試みられたが、それよりも生徒の学力や教師の質が劣る一般の学校に導入された際には失敗に終わり、それ以降の教育に引き継がれることはなかったらしい。これは一部国立の小学校での試験的な総合学習の取り組みの成功であって一般には当てはまらない前例の他にならない。実際国立の小学校では、学校ではそういった事をしていても、基礎学力は塾に通いそこで十分に補っている。また過去イギリスでも「トピック学習」と称して同様な事をやったらしいが結果的に子供の学力は向上せず、むしろそれに伴って体系的な知識教育が軽視された結果基礎的な数学や読み書きもおぼつかない若者が数多く市場に送り出され、社会問題の元凶となったらしい。国内のみならず海外でもすでに失敗しているのである。また前述した学習内容の三割削減にしても、アメリカ合衆国が過去に実施しすでに手痛い失敗をし現在は逆に子供達の教育に力を入れ1997年の年頭教書ではアメリカ国民が世界最高水準の教育を受けれるようにすることが最優先事項であることが明らかにされた。
この他に内申書の問題点・失格教員の問題・平等教育が招く不平等・少年犯罪の問題・自殺の増加…等、数え上げたらきりがないのでここで2冊の本を紹介する事にする。子供が小学校に入学し昨年長男が中学校受験を経験するまで教育に関する本を数十冊と読んだ。しかしそれは我が子をいかにうまく育てていくか、またいかに勉強さすかといった思いで読んでいた。しかし次にあげる2冊を読んだ時、そういった事を通りこして、我が子を含め日本全体がどうなってしまうのか不安になった。産経新聞社会部教育問題取材班著『教育崩壊』(角川書店)と和田秀樹氏著『学力再建』(PHP研究所)である。この文の多くの部分を特に後者の『学力再建』から引用させていただいた。この本を読むまでは子供に勉強しろと言う時は「自分のために勉強するんやろ」と良く言っていたと思う。しかし今は「何のために勉強するの」と聞かれたら、「日本のため、それは、お前も含めお前の子供達が安心して豊かに暮らせる社会を維持するためだ」と答えてしまいそうになる。ぜひ一度読んでいただきたい。特に小学生をお持ちの方はヘタなスリラーを読むより背筋が寒くなるはずだ。
次に私学と公立の問題が出て来る。私学は公立と違いこの新学習要領の影響をあまり受けない。実際大阪では週休二日制を実施している私立中学は極少数である。総合学習の時間にしても、私が昨年ある私立中学の説明会に行った時、「うちは進学校なので総合学習と時間割に記入されていますが、実際には英算国などにふり変えます」と公然と説明していた。これでは私学と公立の格差は増々大きくなるだろう。私学に行かせれる家庭はともかく、すべての家庭が行かせれる訳はないのだから。
ここまで書いてくると「勉強して何になる、今は能力主義であって今までのように学歴社会ではなくなる。」という意見があると思う。これまでの学力を否定し表現力とか創造性のような新たな学力が必要になってくる、という意見もあるだろう。しかしそういったものを身につけるのは非常に困難で基礎学力がついた上で作られるもので勉強もしないで独創性を身につける事は事実上あり得ない。これからの社会はますます能力主義の競争社会に入って来る。今までの様な学力だけでは生き残れない。だからといって学力が不必要になったのではなく、基礎学力がついた上でのプラスαが必要になってくるのである。私たちが育って来たころと比べ一段も二段もきびしくなっているのだ。「でも新学習要領でみんな勉強しなくなっているので競争のレベルが低くなり楽になるのでは」と思われる人もいると思うが、現在は国境の垣根がさまざまな分野で取り払われている。少し前テレビでアジアの新興開発国で子供がゴミの山の中で拾い物をして生活している様子が放送されていた。彼らの国は今その状況を脱出しようと日々必死に努力している。それを観た時我々の子供の時代はともかくその子供の時代には状況が逆転しているのではないかと思った。
このように諸外国が以前に失敗したのと同じ「改革」をどうして日本はこれから進めるのか。やってダメならまた改めようと安易な考え方もあるだろうが、今現在この教育を受けている子供達(実際私には3人の男の子がおり、そのうち2人は公立の小学校に通っている)には、その時は二度とかえってはこないのである。私はインターネットは苦手でめったにはやらないのだが、一度「ゆとり教育」で検索すると1000件以上検索され、少しずつだが読んでいくと圧倒的に否定的な意見が多かった。どう考えてもおかしい今回の改革をある日、大学の講師をしている友人に話したところ彼は「俺もインターネットで読んだ事だけど」と前おきして「この改革は実は究極のエリート教育らしい」と言った。意外だったのでもう少し詳しく聞くと、この「ゆとり教育」という耳障りのよい言葉で呼ばれているものは新しい社会階層化を進めるために実施しているらしい。現実を考えれば全員はエリートになる事はできない。指導する立場の人は少数でたくさんはいらない。しかしその指示された事を何の疑問も持たずに実行することが出来る人間は多数いる。要は忠実に奉仕できる人が必要なのである。指導するエリート層は別に作っていく。つまり階層の上位にいる人間は「安い労働力」と「消費者」以上のものではない人間を量産するために行っている。という事だった。そして三浦朱門前教課審会長の発言を教えてくれた。「学力低下は…覚悟しながら教課審をやっとりました。…できん者はできんままで結構。…労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。…限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです。」奉仕活動もこの様に疑問を持たずに働く「実直な精神」を養うことらしい。
私も彼もこの意見は決して認めたくはなかったが、むちゃくちゃに思えるこの意見に妙に説得力があり反論がうまく出来なかった。ともあれ現在の日本は楽天家で個人主義の私がみても乱れている。今は昔戦国時代のあの織田信長が光秀にこの様に言ったと言われている。
「今の天下の乱れは、日本中の人間がみなおのおのがおのれの事ばかり考え日本全体の事を考えない。日本全体が共通の目的を持たないことが原因である。信長はそれを許さぬ。」と。
現在の社会はまさにその通りである。
ワールドカップ勝利だけが日本人共通の目的なのであろうか。
(2002年7月)
吉田先生
去年の夏北京に行って来ました。オリンピックをひかえているだけあって都市基盤が急速に進んでいる感じがしました。高層ビルが立ち並び、道路もたいへん広くてきれいでした。大阪が誘致合戦で負けたのも無理はないと思いました。万里の長城は北京から北西へ、車で約40分くらいのところにありました。真夏の炎天下気温30度をこえるなか、背中が太陽光線で焼けるようでした。長城は山の中腹あたりを連綿と続いており、風とおしのよいところは、ひんやりとして涼しいのです。ただ石段がつづくだけで、他に何もないので、がっかりしました。他の見所は、故宮博物館と天檀公園です。天檀公園から見た故宮の全景は旅行社のパンフレットにあるように、壮大で映画ラストエンペラーを彷彿とさせるものでした。赤い屋根の宮殿がきれいな形で配置されていて、故宮に早く行ってみたいと思いました。故宮は博物館になっていましたが、見るものはほとんどありません。台北の故宮博物館を、以前訪れたことがあるので、その違いがあまりにも大きいのにびっくりしてしまいました。蒋介石が財宝を持ちさったというのはほんとうだったのでしょうか。ガイドさんに、故宮内にあるお店に連れていってもらい、たくさんの種類のウーロン茶をおみやげに買いました。店内には日本語の上手な、若い店員が多数いて、しきりに応対していました。次の日には、西太后の別荘兼離宮にいきました。大きな東洋的な庭園には、これまた大きな池があり、こいが泳いでいました。遊覧船に乗りはしからはしまでわたりました。観光客が大勢訪れており立錐の余地がないほどでした。景気がよいうえに物価も安いし、活気があり現在の日本とは大違いです。中国をみならい日本も元気をだしましょう。中国脅威論がありますが、パートナーシップと棲み分け理論があれば、そんなことはないと思います。
(2002年5月)
弘田先生
4月も下旬になりましたが、今年は桜の開花が早く3月下旬に満開4月に入りはや葉桜となりました。今はツツジが満開となっております。その4月初旬朝目覚めると、「ホーホケキョ」と、うぐいすの鳴き声を耳にし、目まぐるしい現代にいて心癒される思いが致しました。昨年より狂牛病の影響で、すっかり肉といえば鳥が多くなった我が家の食生活、鳥の心いざ知らず昼休みに、南港野鳥園にいってみました。ここは展望塔施設がありその前に、干潟、ヨシ原、林などがあり、鳥たちがエサを捕ったり休息する環境になっています。また野鳥の専門家による観察指導も行われているそうです。この日もあまり来園者がおらず(平日でも日曜日でもすいているそうです)さっそく双眼鏡を干潟に向けのぞいて見ると、水面にカルガモがどっさり気持ち良さそうにのんびりと浮かんでいました。そのほか見慣れない鳥も、野鳥の名前はそれしか知らないので、指導員の人に尋ねるとコサギやムクドリ、オオバンが、1年中見られ春の渡り鳥では、アジサシ、アオアシシギ、コチドリなどその他多くの種類がここにやって来るそうです。大阪湾内港に人工干潟、なかなか自然豊かな山や川に行けない私にとっては、少しホッとした1時間のやすみでした。帰りにツバメが飛行しているのを見、今年の夏も暑くなるだろうなと思った今日この頃でした。
(2002年4月)
自転車
今から十数年前、自転車を衝動買いしてしまった。それもマウンテンバイクという「山の中を走るため?」にデザインされた物で、派手なカラーリングに極太のブロックタイヤを履き、18段変速という仕様で、いかにも頑丈そうなバイク(愛好者は、自転車と呼ばずバイクと呼ぶ)であり、その当時はまだまだ普及していない希少な代物だった。
さっそうとバイクのサドルに腰を沈め、軽快?に走っていると、すれ違う少年たちの熱い視線を集めた記憶がある。そんな少年達を見ていると、ふと昔の自分と照らし合わせてしまい、懐かしい想いに駆られるのであった。
 
実は僕自身、中学生のころ自転車に凝った時期があり、親にねだって買ってもらった5段変速のドロップハンドルのサイクリング車(注、この言葉は、現在では死語に近い)で今となっては考えられない距離を走破した記憶がある。
早朝5時に自宅をぬけだして、地元の学校正門前で友人とおちあい、いざ出発。7時ごろには生駒山の暗峠に到着して、疲れ方がたりずにそのまま月ヶ瀬ダムまで行って、夜の9時には自宅にもどっていた。
待ちかねた 夏休みには練りに練った計画を実行に移した。大阪からフェリーで宮崎まで行き、大隈半島、薩摩半島を経由して有明海を北上し阿蘇山にのぼり、大自然の景色と新鮮な空気を満喫した。その後大分県まで足を伸ばし、湯布院の温泉(注、その当時はまだまだ湯治場で寂れていた)につかり、別府でまたまた温泉につかり、旅の疲れを癒した後、別府港からフェリーで神戸まで帰ってきた。旅行中は連日バス停の軒下、駅のベンチなどで野宿して、一切お金のかからない旅行だった。距離にして約1200キロ、朝の4時半から夜7時ごろまで1日中ペダルを回していた。
 
道中は別府に着いても物足らず、大阪まで国道2号線を走って帰る考えまで浮かんだ。14日間の予定で10日で別府まで来たので、別府から大阪まで約800キロを4日で帰れるなどと、今思えばとんでもないことを考えていた。そのころは、将来自転車で世界1周まで考えたことがあった。
 
実家に帰るとそのころ集めた色々な地図や写真が未だに眠っている。そんな熱い記憶が心の底にあるものだから、自転車を見るとなぜか落ち着かない気分になり、日曜日の朝、二日酔いの体に鞭打ち、マンションのエレベーターにわが愛車を押し込める。行き先はどこだっていいのだ。ただ走って、スターバックスでコーヒーを飲んで帰ってくるだけでもとても爽快な気分になる。
 
話は戻るが、初代マウンテンバイクから始まり、2台、3台と購入して、現在8台を所有している。変速ギアも30年前の5段変速から27段変速に変わり、いまや30段変速の時代に突入している。ブレーキもオートバイなみのディスクブレーキである。家族は、自転車といえば俗に言う「おばチャリ」はたまた、ディスカウントショップに並んでいる「お手頃」な物しか見たことがないはずだから、わが愛車の価格を知られると離婚騒ぎに発展しかねない。自転車の作りも、技術革新のおかげでアルミ、カーボン、チタンなどの非常に高価な材質で、1台あたりの重量が約9キロ(注、おばチャリ1台約20キロ)ぐらいで走りは大変軽快である。その分価格もフレームだけでゴルフクラブ1式は揃うのではというぐらいだから、家族にばれたくない気持ちはわかるでしょう。その高価な愛車で、今度、京都あたりまで行ってみようかと計画している。
(2002年3月)
坂本先生
 我家の愛犬ロン(ミニチュアダックスフンド)を見ていると実におもしろい。大好物の食べ物をごほうびでもらうとなると、普段のドッグフードでは気のないお手やおかわりなのに、体は躍動し高速のお回り、お手、おかわり、ふせ、と知っている芸は全て披露してくれるし、人間の言葉に確実に反応してかしこいところを見せくれる。ところが、粗相をしてしかられると気の毒な程意気消沈して体はコチコチに固まってしまう。
 動物の脳には、「報酬系」と「罰系」の神経領域があり、達成感など気持ちが良いという感覚は「報酬系」をバンバン刺激して、体はリラックスし免疫力も高まる。ところが、失敗したり意味もなく怒られたりすると「罰系」をチクチク刺激して体は緊張し免疫力は低下する。
 人間の脳は特別で、知性と理性を司る大脳が発達しているので、この「罰系」刺激を「報酬系」刺激に変える事もできるそうだ。怒られても、これは自分を伸ばすチャンスなのだと前向きに受け止める意志の力が知らず知らず「報酬系」刺激に変えていくのだ。
 近鉄の梨田監督は、選手時代は西本監督によく怒られていたそうだが、自分が監督になって選手には怒らないという。子供の頃はやく父が亡くなった後、家計を助けるため新聞配達していたのだが、遅れたり雨で新聞がぬれると怒られるし大変だった時、ある奥さんに「あんた小ちゃいのに偉いわね。頑張って」と言われた事がうれしくて、大きくなってもそういう優しい気持ちを持ち続けたいと思ったそうだ。自分の経験から選手の自主性に任せて、打たれても打ち返す豪快な野球で二年連続最下位の近鉄を昨年リーグ優勝に導いたのは、選手をほめてその気にさせた結果ではないだろうか。
 「罰系」刺激が来たら、何事も自分の都合の良いように考えるのも一つの良い方法かも知れない。ゴルフは下手だが、上達する楽しみがあるとか。何でもプラス思考に変えてしまって罰系人間を卒業したいものである。
 日本経済もダメダメというばかりでなく、バブルの時が異常で、今は正常に戻ったと思えば気が楽だし、新聞報道でも燃料電池、人間型ロボット、ナノテクノロジー、再生医療等21世紀の夢の話が現実のものになりつつある。きっと近い将来日本経済も躍進するものと期待している。
 そういえば、2002年元旦は、カウントダウンで明けたと同時にユニバーサルスタジオから花火が打ちあげられ、家の窓からもきれいに見えて、期せずして景気良く新年を迎えることができたのだった。今年は何か良い年になりそうなそんな予感がしてきた。
(2002年2月)
甲田先生
日本アマチュアゴルフ界の重鎮であり、聖(ひじり)である中部銀次郎氏が昨年12月14日に死去した。享年59歳だった。彼の著書を何冊か読ませて頂いた。中部氏は日本アマ選手権6勝を始め、数々のタイトルを獲得し、西日本オープンではプロを破って優勝するなど現役時代の活躍は伝説にさえなっている。競技生活を退いた後も「中部語録」で多くのファンを魅了した。
その語録の中に『ゴルフでは起こったことに鋭敏に反応してはいけない。やわらかくやり過ごすこと』というのがある。僕はゴルフ暦20年以上になるが今だにプレー中に起こったことをやわらかくやり過ごすことができないでいる。
例えばティーショットが快心のショットでフェアーウェイのど真ん中に。いわゆる今日一のショットが出て喜んでセカンド地点にいってみるとディボット跡にボールがすっぽり埋まり、ライは最悪である。それでも残り170ヤードを5番アイアンを手に持ち、かっかしながら打つと大ダフリ、またまた頭に来てサードショットを打つと今度はトップしてグリーンオーバー。もう精神状態は正常ではなく、結局4オン3パットのトリプルボギーである。
事の起こりは、今日一のナイスショットに鋭敏に反応し、喜び勇んでセカンド地点に行った事にあり、それが運悪くディボット跡にボールが埋まっていたのに鋭敏に反応して悔やんだ事にある。
中部語録に『最悪を覚悟して最善を尽くす』がある。ゴルフはメンタルなスポーツとよく言われるが、ストレス解消のために休日にゴルフに行きストレスをためて帰ってきたのでは何にもならないと思う。ゴルフはミスのスポーツともよく言われるがミスをしても次のショットを笑顔で又は平気な顔で打ちたいものである。でもやっぱり僕には無理かもしれない。
(2002年1月)
みなさんは、かむことと健康について考えたことがありますか?食品には、よくかめる物と、かめない物があります。ハンバーガーやインスタント食品は、一般的に柔らかくてよくかまずに飲み込んでしまいます。一方、煮物野菜や小魚、肉類などはかめばかむほど味が出て、美味しく食べることができます。
よくかんで食べると、一口の食品を飲み込むまでに時間がかかり、その間に満腹中枢が満たされ、自然と食事の量 が減ってきます。減るといっても、栄養不足になるほど、食事の量が減るわけではないので、かなり効果的なダイエットになりますし、過食による生活習慣病(糖尿病、高コレステロールなど)の予防に役立つでしょう。
かむことにはその他にも色々なメリットがあります。便通がよくなり過食が抑制されたり、脳が刺激された結果目覚めが良くなるとも言われています。
 
どうですか、みなさん。かむことはいかに健康上、有意義な事か理解していただけたでしょうか。かむことは私たちの生活で欠かせないことですが、かみ合わせなどの問題で困っておられる方もいるでしょう。かみ合わせのことで、おかしいな?変だな?と思ったら、一度歯科医の診断を受診してみましょう。適切なアドバイスが受けられることでしょう。
私が運転免許証を取得したのは昭和44年。その後池田市へ引越したので、マイカー通勤で阪神高速道路池田線を利用するようになって27年になる。
当時は現在と違って高速道路も今ほど混雑していなかったし中国道で猪が車とよく衝突するのが話題になった頃である。マイカー通勤するようになったのは単に通勤時間の問題からである。車なら池田大阪間は事故や渋滞がなければ40分、電車で1時間20分。事情が許せば誰でも車を利用する筈である。
ちなみに大阪池田間の私の最短所要時間は21分。最長記録は高速道路の凍結閉鎖の影響で身動きがとれず4時間を要したこともある。昔暖冬期を除き年1〜2回池田線は凍結閉鎖されたものだが、ここ数年そのようなことはない。電車通勤の人と比べマイカー通勤の人が地球環境を汚していることは、程度の差は別にして高いことは理解できる。高速道路の凍結回数の減少は車社会のみならず全ての人間活動が原因の地球温暖化のせいであることは間違いない。
 
高速道路の運転は単調極まりないものだが、長年通っていると様々な事故現場に出会ったり、時には数分の差で大事故から免れる場合もある。また運転席から世の中の経済状況の変化や世相を垣間見ることができて非常に興味深い。景気の良い頃は一杯人を詰め込んだ建設関連の車がやたらと目に付いたものだが、バブル崩壊後そんな車はあまり目立たなくなった。またバブル前までは社用、私用を問わず、運転士つきの車で後部座席に悠然と座し、新聞を読みながら通勤するどこかのエライさんの姿をよく見かけたものだが、ここ数年そんな車はめったにお目にかからなくなった。私も20年前にはいつか自分も運転士つきの車で診療所へ通勤しようと考えたものだが、夢のままで終わってしまった。
 
さて私が長年マイカー通勤してきた間に、ひとつだけ忘れようとして忘れられない出来事がある。随分古い話で15年位前になるだろうか、私が働き盛りの頃である。いつものように午前7時頃自宅を出て空港線に入る。料金所を出て2〜3分走ると、100メートルほど前方に走行車線を個人タクシーが走っているのを確認。そんなにスピードは出ていなかったように記憶しているが、走行中のタクシーの後部ドアが少し開いたような気がした。不思議に思いタクシーを注目していたところ、突然ドアが開き、黒い物体が道路上に転がり落ちたのである。とっさにハンドルを右に切りその物体との衝突を回避。その直後タクシーは急停車したので私もその前方に急停車。車を降りタクシーに近づくと、初老の運転手さんが顔面蒼白で私に助けを求めに来たのである。事情を聞いてみるとその客を乗せたときから気味の悪い客だと思いながらも、言われるままに運転していたところ突然後部座席から外へ飛び出したとのことで、黒い物体は実は人間だったのである。
恐る恐る近づくと、黒い服を着た男が高速道路に横たわっている。このままでは危険なので追い越し車線を走っている車に110番通報をと手を上げるが、止まってくれる車はない。そうこうするうち道路上の、多分ひどい怪我をしている筈の男がむっくりと起き上がったのである。その顔は今でも忘れることは出来ないが、髭は濃く青白い顔で年齢は50才位、目は宙に浮き赤く充血。私の直感で薬物中毒か精神障害の人間に違いないと考えた。その男をとにかくタクシーへ連れ戻そうと2人で近づいたその瞬間、いきなり男は大阪方面へ走り出したのである。2人で必死に追いかけ、やっと男に追いついた直後、何と男は10メートルを越える高速道路の側壁から大の字になって高架下へダイビング。上から覗いてみると、高速道路と並走している下の道路にたたきつけられ身動きひとつしない様子。高速道路の下を走っている車の運転手は、上から人間がふってくるとは考えもしないことで、さぞや驚いたに違いない。
当時は現在のように携帯電話も普及していなかったし、どうしたものか2人で困り果てていた所へ、空港リムジンバスが停車。「どうしましたか」とバスの運転手が一声かけてくれた時は本当に一安心。事の次第を話すと、すぐバスの無線で110番しますとの言葉に安堵の胸をなでおろす。
タクシーの運転手さんの話では、乗客にもしものことがあると運転手の業務上の責任が問われるとのことである。私が一部始終を目撃しているのでその心配はないと告げ、私の名刺を渡し、もし何かあればご連絡下さいと伝えてその場を立ち去ったのである。診療所へ到着後念のため110番。午前10時頃男は病院に収容され、腰を打っただけで生命に別条はないとの110番からの電話があった。
その出来事から10日程して運転手さんから突然の電話があった。お礼の言葉のあと、あの事件以来、右手をひどく痛め仕事を休んでいるとのこと。今は近所の親切な人に助けられ何とかその日をしのいでいるとの話である。男は実は薬物中毒者や精神障害者でもなく自殺をはかったようで、死に場所を探して放浪中偶然タクシーに乗り込んだらしく、本当に不運なのは運転手さんである。自殺の原因を聞いてみると、男は天涯孤独の身で、気が狂う程の孤独に耐えかねて自殺をはかったとのことである。
運転手さん自身も遠くへ嫁いだ娘が1人いるだけで身寄りも知り合いも無く、その男の境遇とほとんど変わらない。しかし一生懸命頑張って生きているのに何故自殺をはかったのか残念でならないとの話であった。
人間誰しも孤独を味わうことはあるが、私も死ぬ程の孤独を味わったことはない。今も私の脳裏から離れることはないが、何とも気の滅入る悲しい出来事であった。幸いにもその後は大きなトラブルに会うこともなく、無事にマイカー通勤できる幸運に感謝したい。
 
往復80分の通勤時間は少々退屈することもあるが、音楽を聞いたり、ニュースを聞いたりと退屈しすぎることはない。最新のトピックスやミュージック。これからどんな歌がはやり出すか、いち早く情報をキャッチできるのは楽しい。
今年の夏少し気がかりなことがひとつ。どういう訳か高速道路の事故、トラブルがやたらと多いように感じている。暑さが特に厳しく人も車もバテているのであろうか。それとも先の見えない経済不況による暗い世相の一端が表れているのであろうか、その理由は定かではない。
事故と言えば最近高速道路でも女性ドライバーを随分見かけるようになった。しかし女性は平均して慎重運転が多く大事故は少ないようである。ごくまれにかなり年配のご老人が制限速度より遅いスピードで高速道路を運転するのを見かけるが、無事故を祈りたい気持ちになる。私も80才近くまで運転できそうな気もするが、それまでに家族やまわりの人から運転をやめるようアドバイスを受けたときはやめるつもりでいる。もし大正区歯科医師会の先生方で私の運転に危険を感じた時はご遠慮なく、直接的、間接的でも結構ですから、いつでもご忠告頂ければ有り難い。
 
今日一日無事に運転を終えるよう祈りながらマイカー通勤を続ける毎日である。
(2001年8月16日)
今年2月の臨時総会で推挙され、4月定時総会に於いて大正区支部長(大正区歯科医師会長)に就任しました。私は大阪弁でいうところの「ヤンチャ」な性格ですので、みなさまにご迷惑をおかけすることが多いと思いますが、職をお受けしたからには肩肘張らずに任期を務めさせていただきますのでご指導ご鞭撻賜りますようお願いいたします。
 さて昨秋、支部設立50周年記事業として、前支部長小野勝先生のリーダーシップで全会員にノート型パソコンを配布し、今春支部のホームページを立ち上げました。情報社会の今、このホームページを立派に育てて情報発信するようにというメッセージを込めたバトンを受け取った思いがしています。そして、大きく育ったホームページを次期支部長にバトンタッチするのも私の役目かと考えます。この支部は会員数43名の小さな支部ですが、大規模支部にも劣らない幾多の活動をしています。スペースの都合上そのうちの2つを紹介しましょう。
 
ひとつは訪問歯科診療事業で、訪問件数、患者数ともに何年もの間、大阪府下56支部中トップクラスを維持しています。高齢化社会が往診を専業にする歯科医師の増加を生んでおり、大正区の会員にも該当する先生が一人います。しかし、支部事業の業績はそのような往診専業歯科医師の成績はカウントしていません。純粋に会員のボランティア的協力によるデータのみですので、歴代支部長からバトンを受け継いだこの成果はおおいに誇りにできるでしょう。
もうひとつは「シルバーエイジ・歯の健康祭り」です。65歳以上の区民を対象に毎年、歯の衛生週間に開催しています。大阪府歯科衛生士会、技工士会や行政をはじめ各種福祉団体も参加し、300名以上の高齢者を集めて「8020表彰」をしています。小野先生発案のこの事業も今年で6回目の催しとなりましたが、ご高齢の方のみを招待する集いは他支部に例がなく、大阪府歯科医師会でも度々話題に取り上げられます。これも前任者からバトンを渡された貴重な財産です。
総会にて 小泉総理大臣が誕生し「聖域なき構造改革」が議論になっています。元来、組織というのは改革の繰り返しで、大正区支部も例外ではなく常に無駄をなくし効率的な会務と事業の運営を目指さなければなりません。そこで私は先ず支部規定の見直しに取りかかっているところです。会員の賛同を得て時世に合うように変更した規程を次期支部長にバトンタッチしたいと願っています。
 
最後に私の本音です。団結力のある当支部は各担当の先生はもちろんのこと全会員が協調性と自主性を有し、支部長などいなくても会が動いていきます。私の役目は次期支部長がやりやすいように会の体裁を整え、アンカーのいない駅伝競走の一選手としてバトンをつなぐことだと思っています。支部会員の先生方はじめ、このホームページをご覧の方々には大阪府歯科医師会大正区支部(大正区歯科医師会)をご高配くださいますようよろしくお願いいたします。
(2001年8月)

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