平田先生
私は元来楽天家であり基本的には個人主義(悪くいえば利己主義)的な人間である。しかし、この楽天家である自分が最近非常に心配し不安に思っている事がある。それは、今年度(2002年度)より始まった『新学習指導要領』の実態だ。もちろん以前より学校教育に対する問題点は色々とあった。例えば学級崩壊の問題。また「七・五・三」の問題(これは小学校の七割、中学校の五割、高校に至っては三割の生徒しか学習内容を理解していない事)。現場の教師の質の問題。親の質の問題。PTAの問題(これは一昨年小学校のPTAの会長をし痛感した)など色々とあるが、先程述べた様に私自身は個人(利己?)主義的な所があるので『自分自身さえしっかりと自分の子供達を育てていけばよかろう』とあまり深く考えた事はなかった。しかしこの新学習指導要領というものがどんな物か、調べれば調べる程、大袈裟に言えば日本自体がダメになってしまうのではないかという憂うつな気分になってしまう。ではこの『新学習指導要領』とはどう言ったものであろうか。一言で言えば子供達に勉強させないのである。教育内容が約3割削減され、授業時間が2割も削減される。例えば小学校では3桁×3桁の掛け算や4桁どうしの足し算や引き算がなくなる(千円札で買物をしておつりの計算はどうするのかな)。また小数第二位以下も扱わなくなり円周率も「およそ3」として計算させられる。分数についても割る数と掛ける数が単位分数(分子が1の分数)の場合しか分数の掛け算と割り算を日本の子供達は学ばなくなる。この様な計算軽視のカリキュラムを文科省は「考える力をつけるため」と主張しているらしいが、この主張に疑問を抱く人は多いだろう。考える力をつけると言いながらカリキュラムの削減の仕方がまちまちであるため、計算力だけでなく考える力まで奪ってしまう。カリキュラムが簡単になる事で前述した「七・五・三」の問題も解消されると文科省は主張しているが、これも疑問だ。というのはこの三割削減を受ける前からすでに日本のカリキュラムや授業時間は先進国やアジアの新興開発国に比べて少ないものであるからだ。今現在子供達の学力低下が問題にされ国際的な危機的状況にあるのにこれ以上削減されたら日本の将来はどうなっていくかは考えるだけで恐ろしい話である。
次に子供の自発性や個性・創造性つまり「生きる力」を重視し総合学習という時間が導入された。色々な課題を自分達で考え学習を体験的活動を取り入れながら行う魅力的なものである。しかしこの総合学習の考え方はすでに大正自由教育の風潮の中で一部師範学校の付属校での成功を基に総合学習が試みられたが、それよりも生徒の学力や教師の質が劣る一般の学校に導入された際には失敗に終わり、それ以降の教育に引き継がれることはなかったらしい。これは一部国立の小学校での試験的な総合学習の取り組みの成功であって一般には当てはまらない前例の他にならない。実際国立の小学校では、学校ではそういった事をしていても、基礎学力は塾に通いそこで十分に補っている。また過去イギリスでも「トピック学習」と称して同様な事をやったらしいが結果的に子供の学力は向上せず、むしろそれに伴って体系的な知識教育が軽視された結果基礎的な数学や読み書きもおぼつかない若者が数多く市場に送り出され、社会問題の元凶となったらしい。国内のみならず海外でもすでに失敗しているのである。また前述した学習内容の三割削減にしても、アメリカ合衆国が過去に実施しすでに手痛い失敗をし現在は逆に子供達の教育に力を入れ1997年の年頭教書ではアメリカ国民が世界最高水準の教育を受けれるようにすることが最優先事項であることが明らかにされた。
この他に内申書の問題点・失格教員の問題・平等教育が招く不平等・少年犯罪の問題・自殺の増加…等、数え上げたらきりがないのでここで2冊の本を紹介する事にする。子供が小学校に入学し昨年長男が中学校受験を経験するまで教育に関する本を数十冊と読んだ。しかしそれは我が子をいかにうまく育てていくか、またいかに勉強さすかといった思いで読んでいた。しかし次にあげる2冊を読んだ時、そういった事を通りこして、我が子を含め日本全体がどうなってしまうのか不安になった。産経新聞社会部教育問題取材班著『教育崩壊』(角川書店)と和田秀樹氏著『学力再建』(PHP研究所)である。この文の多くの部分を特に後者の『学力再建』から引用させていただいた。この本を読むまでは子供に勉強しろと言う時は「自分のために勉強するんやろ」と良く言っていたと思う。しかし今は「何のために勉強するの」と聞かれたら、「日本のため、それは、お前も含めお前の子供達が安心して豊かに暮らせる社会を維持するためだ」と答えてしまいそうになる。ぜひ一度読んでいただきたい。特に小学生をお持ちの方はヘタなスリラーを読むより背筋が寒くなるはずだ。
次に私学と公立の問題が出て来る。私学は公立と違いこの新学習要領の影響をあまり受けない。実際大阪では週休二日制を実施している私立中学は極少数である。総合学習の時間にしても、私が昨年ある私立中学の説明会に行った時、「うちは進学校なので総合学習と時間割に記入されていますが、実際には英算国などにふり変えます」と公然と説明していた。これでは私学と公立の格差は増々大きくなるだろう。私学に行かせれる家庭はともかく、すべての家庭が行かせれる訳はないのだから。
ここまで書いてくると「勉強して何になる、今は能力主義であって今までのように学歴社会ではなくなる。」という意見があると思う。これまでの学力を否定し表現力とか創造性のような新たな学力が必要になってくる、という意見もあるだろう。しかしそういったものを身につけるのは非常に困難で基礎学力がついた上で作られるもので勉強もしないで独創性を身につける事は事実上あり得ない。これからの社会はますます能力主義の競争社会に入って来る。今までの様な学力だけでは生き残れない。だからといって学力が不必要になったのではなく、基礎学力がついた上でのプラスαが必要になってくるのである。私たちが育って来たころと比べ一段も二段もきびしくなっているのだ。「でも新学習要領でみんな勉強しなくなっているので競争のレベルが低くなり楽になるのでは」と思われる人もいると思うが、現在は国境の垣根がさまざまな分野で取り払われている。少し前テレビでアジアの新興開発国で子供がゴミの山の中で拾い物をして生活している様子が放送されていた。彼らの国は今その状況を脱出しようと日々必死に努力している。それを観た時我々の子供の時代はともかくその子供の時代には状況が逆転しているのではないかと思った。
このように諸外国が以前に失敗したのと同じ「改革」をどうして日本はこれから進めるのか。やってダメならまた改めようと安易な考え方もあるだろうが、今現在この教育を受けている子供達(実際私には3人の男の子がおり、そのうち2人は公立の小学校に通っている)には、その時は二度とかえってはこないのである。私はインターネットは苦手でめったにはやらないのだが、一度「ゆとり教育」で検索すると1000件以上検索され、少しずつだが読んでいくと圧倒的に否定的な意見が多かった。どう考えてもおかしい今回の改革をある日、大学の講師をしている友人に話したところ彼は「俺もインターネットで読んだ事だけど」と前おきして「この改革は実は究極のエリート教育らしい」と言った。意外だったのでもう少し詳しく聞くと、この「ゆとり教育」という耳障りのよい言葉で呼ばれているものは新しい社会階層化を進めるために実施しているらしい。現実を考えれば全員はエリートになる事はできない。指導する立場の人は少数でたくさんはいらない。しかしその指示された事を何の疑問も持たずに実行することが出来る人間は多数いる。要は忠実に奉仕できる人が必要なのである。指導するエリート層は別に作っていく。つまり階層の上位にいる人間は「安い労働力」と「消費者」以上のものではない人間を量産するために行っている。という事だった。そして三浦朱門前教課審会長の発言を教えてくれた。「学力低下は…覚悟しながら教課審をやっとりました。…できん者はできんままで結構。…労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。…限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです。」奉仕活動もこの様に疑問を持たずに働く「実直な精神」を養うことらしい。
私も彼もこの意見は決して認めたくはなかったが、むちゃくちゃに思えるこの意見に妙に説得力があり反論がうまく出来なかった。ともあれ現在の日本は楽天家で個人主義の私がみても乱れている。今は昔戦国時代のあの織田信長が光秀にこの様に言ったと言われている。
「今の天下の乱れは、日本中の人間がみなおのおのがおのれの事ばかり考え日本全体の事を考えない。日本全体が共通の目的を持たないことが原因である。信長はそれを許さぬ。」と。
現在の社会はまさにその通りである。
ワールドカップ勝利だけが日本人共通の目的なのであろうか。
(2002年7月)

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