6月6日(火)早朝、観光とサッカー日本チームの応援のため関西空港を出発した。
盆と正月以外長い休みが取れない仕事にもかかわらず、今回家業をストップすることもなく旅行をエンジョイできる幸せをかみしめながらドイツへ向かった。
フランクフルトに到着したのは12時間程、ワールドカップの7日前だったため町も平静であったが、2日前になると賑やかな中南米の応援団やイギリスのフーリガンの連中が夜通し騒ぎまくり、ようやくワールドカップらしきムードを見せ始めた。日本チームの最初の対戦相手はオーストラリアで旅行の最終日に合わせるため、それまでは観光と決め、フランクフルトとハイデルベルグを中心にじっくり見物することにした。団体ツアーに参加すると気は楽だが、どうしても朝から晩までスケジュールに追い回されるのがつらく、少し不安もあった。が、多くのドイツ人は英語が通じると聞いていたので、久々に女房とのノンビリ2人旅となった。
最初に気付いたことは、ドイツはアメリカと同じく多民族国家ということだ。アフリカ系黒人はアメリカと比べると少ないが、アラブ系、ラテン系の人々、インドやアジア系の人々も、観光客を除き、町では多く見かけることができる。
宗教的にはキリスト教が中心だが、イスラムを信じる人々も多く、移民としてドイツ社会に定住している状況が町を歩き回るとよく分かる。
ライン川やネッカー川の川下りは圧巻で、点在する城壁や教会、町並を見ているとヨーロッパの中世に逆戻りするような錯覚に陥る。基本的にドイツ人は変化を好まない保守的な国民で、日本のようにダイナミックな変化には、ついて行けない国民性のような気がする。数多くあるドイツの自国の歴史と伝統を守り抜く姿勢の強さを肌で感じることができ、同じ多民族国家にもかかわらず腕っぷしだけのアメリカとは色々な面で一線を画しているのは当然と言える。
もうひとつ感心したのは町中のゴミの少なさである。公共の場所、人々の集まる広場や公園にあるゴミ入れには人出の多い週末にもかかわらず、ゴミがほとんど見当たらない。
日本ならゴミが溢れ出ている所だが、50年位前から国がゴミ問題に取組み、教育をはじめ行政がきっちり対応してきた成果が現れ、ゴミ問題は解決済みとは羨ましい限りである。日本に来る外国人は、日本は非常に清潔な国との評価をするが、私は日本人もドイツ人に負けない位きれい好きの国民だと思う。
真剣に取組めばドイツ人より早くゴミ問題を解決出来ると思うが、嬉しい点は日本人の文化のひとつとして、丁寧で色美しい包装習慣を切り捨てるのは簡単にいきそうにないからである。
ドイツの交通機関を利用する際、特に列車に乗る際は要注意。どの駅にも改札はないし、案内も少ないので日本人なら怒り出す人がいるかも知れない。フランクフルトからハイデルベルグに向かう急行列車に乗ったまではOK。ところが停車駅のハイデルベルグに着いたのにドアが閉じたままである。発車寸前、ドイツ人が横のボタンを押してと大声で指示してくれたお陰でドアの脇に付いているボタンを押してドアは開き、間一髪下車でき、ほっと一安心!
ドイツ人特有の合理主義というか、何事もすべて自己責任で行うやり方は絶えず精神的な緊張が伴う。日本のサービスは過剰と言われるが、旅行気分の日本人には日本式の充実したサービスの方がリラックスでき格段に楽しい。
丸一週間、肉、ハム、ソーセージ、チーズ、じゃがいも、パンで過ごしたのは生まれて初めてである。ドイツに行かれた方は、ご存じと思うがドイツ人の食べる量は半端じゃない。フランクフルトのレストランでの食事の量の多さに驚かされて以来、メイン料理は一人前、その他サラダなどの軽い物を1人前取って半分ずつ2人で食べるようにする作戦に変更した。
ドイツ人の体型を見ると、特に女性は肉の塊のような人が目に付く。若い女性でもスリムな人は少なく、日本人女性で自分はかなり太目と思っていても。ドイツ人と比べると可愛いもの。うちの女房も大分自信をつけたようである。
近年ドイツもアメリカと同じく健康志向で日本食も認知され、すしは大体大きな店では売られているし、昨年あたりから回転ずしが人気のようである。
一週間ドイツ食を続けると消化器の底に油が貯まっている感じでおなかがすっきりしない。ともあれ毎日こんなシンプルな食生活を続けられるドイツ人には、敬服するばかりである。食材の豊富さ、料理の奥深さ、美しさ、バラエティーの多さ等、フランス料理と同じく日本は世界屈指の料理大国だと実感すると共に、日本食のすばらしさを改めて感じる次第である。
帰国の日は意気消沈の日本チーム応援団と遭遇。内心、対オーストラリア戦に勝利し、日本チームがいかに戦い、いかに勝利したか一部始終をかくつもりが、惨敗という結果で行を進める意欲が涌いて来ない。あえて今の気持ちを表現するなら、熱狂的な阪神ファンがシリーズ優勝決定戦の試合で、いいところなくボロボロに敗れた時の気分と言う表現が近い。試合はやってみないと分からないというが、ここ3年経験したことのないような負け様で、監督も選手も相当ショックを受けているに違いない。これで決勝トーナメント進出は難しくなったが、残り2試合対クロアチア、ブラジルに戦に気持ちを切り替え、全力を出して日本チームの良さと底力を世界にアピールするよう健闘を祈るばかりである。
 
2006年6月13日
ハイデルベルグにて
小野 勝
甲田先生

最近、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生(94歳)著の『生きかた上手』という本を読み、人生のQOLについて色々考えさせられました。

人生の中年とは50歳から始まるということ、50歳代のうちに本当の自分に出会っておくことが、その後に続く人生の豊かさを左右するということを再認識したのです。はたして幸福とは何でしょうか。スイスの哲学者カール・ヒルティ(1833〜1909年)は次のように言っています。「人生の幸福は困難に出会うことが少ないとか、まったくないとかということにあるのではなく、むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利をおさめることにある。」本当にその通りだと思います。ユダヤ系オーストリア人の精神医学者ヴィクトール・E・フランクル(1905〜1997年)の言葉はもっと控えめです。「幸せは決して目標ではないし、目標であってはならないし、さらに目標であることはできません。それは結果にすぎないのです」と。幸福は求めて得られるようなものではない。結果として与えられるにすぎないと言っているのです。生き方や習慣は意志によって獲得できますが、幸福はそうはいかない、あくまで心の状態を言うのです。それも瞬間的な快楽や、若い男女の恋愛における幸福感のようなものではなく、むしろ、もっと持続した心の平安こそが本質であるような気がします。

さて、2020年には日本人の4人に1人が65歳以上になると予測されています。これほど爆発的な少子高齢化は世界中のどこにも前例がありません。世の中では一般に65歳以上を「高齢者」と呼んでいますが、今後70歳になり、さらに75歳以上になるかもしれません。また、検査データの基準も変わってきています。かつて100mg/dlより高いと糖尿病が疑われた血糖値は20年程前110mg/dlになり、先頃126mg/dlにまで引き上げられました。高血圧の定義も今後変わるかもしれません。80歳以上の高齢者を念入りに調べたら、動脈硬化はあるに決まっていますし、多くに萎縮性胃炎もたぶん見られるでしょう。老化による体の衰えや、不幸にして治る見込みのない病に見舞われても私達は「欠陥があるにもかかわらず健やかである」という生き方を求めていくべきだと思います。

現在、日本歯科医師会と厚生労働省は8020運動(80歳になっても20本自分の歯を保ちましょう)というキャンペーンを展開していますが、将来8020という数字も変わるかもしれません。むし歯や歯周病などの予防と早期治療の重要性を認識してもらうために8020運動は大変良いことだと思います。そして今後、医療、歯科医療の進歩と国民の健康度の高さから考えると多くの8020達成者が増えていくでしょう。しかし、反面8020達成できず、がっかり肩を落とされる高齢者を見ると少し考えさせられる面もあります。8020の達成が絶たれた方々のデンタルケア、セルフケアのモチベーションが一気に下がる心配があると思うのです。

そして最後に極端なことで恐縮ですが、8000(80歳で自分の歯が0本)の方々でも、医師、歯科医師の努力により、上下総義歯で健やかに毎日を過ごしておられる高齢者がいらっしゃるのも事実なのです。

(2006年4月)

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大阪府歯科医師会は大阪市の委託で、平成8年度から「在宅寝たきり高齢者訪問歯科診療事業」を推進していまして、大正区歯科医師会もこの事業に参画しています。
大正区歯科医師会会員の先生方には、大正区民のために常日頃から訪問歯科診療にご尽力くださいまして、誠に有難うございます。おかげさまで、毎年の実績が大阪市内26歯科医師会のなかでトップレベルを維持しています。
平成16年12月に「平成8年度〜平成15年度 大阪市在宅寝たきり高齢者訪問歯科診療事業報告書」が冊子の型式で大阪府歯科医師会が発表しました。この報告書は、平成16年度の「在宅寝たきり高齢者訪問歯科診療事業検討委員会」の委員長をしていました私が8年分のデータを集計分析したものですので、このなかから大正区歯科医師会のデータを抽出し、さらに平成16年度と平成17年度のデータを加えて、大正区歯科医師会平成8年度〜平成17年度、10年間の訪問歯科診療(歯科往診)について総括しようと企画しつつあります。
私が集計分析して作製した報告書からデータを引用するのですから、著作権侵害には当たらないことを確認しておいて、いままでに集計できている平成16年度まで9年分の大正区歯科医師会訪問診療実績の概略について、一部のデータのみではありますが、ホームページで公表します。

1.患者数
訪問して診療した患者数は 1,883名
訪問したが、さまざまな理由で診療できなかった患者数は 10名
また、これもさまざまな理由で訪問しなっかり、できなかった患者数は 27名
以上の結果、訪問診療の申し込みがあった患者のなかで、診療した患者割合は 98.1%

患者数-1
1.訪問回数
診療した訪問回数は 5,983回
訪問回数-1
1.患者の性別内訳
男性753名
女性1,140名
性別
1.患者の年齢別内訳 85歳以上 472名
80歳〜84歳 326名
75歳〜79歳 315名
70歳〜74歳 253名
65歳〜69歳 182名
64歳以下 345名
※64歳以下の患者が多いのは、知的障害者施設の患者数が関与しているものと思われます。
年齢
1.患者が訪問診療を受けることになった原因
(会員から報告があった平成13年度〜平成16年度のデータ)
 
脳血管障害 496名
循環器障害 81名
呼吸器障害 21名
骨折 45名
パーキンソン病 63名
リウマチ 26名
悪性腫瘍 43名
認知症 80名
高齢による衰弱 46名
その他 181名
※その他の患者が多いのは、知的障害者施設の患者数が関与しているものと思われます。
病因
1.患者の要介護度
(会員から報告があった平成13年度〜平成16年度のデータ)
 
自立 6名
要支援 12名
要介護度1 71名
要介護度2 60名
要介護度3 79名
要介護度4 84名
要介護度5 164名
未申請(その他) 273名
※未申請(その他)が多いのは、知的障害者施設の患者数が関与しているものと思われます。
介護
1.訪問場所別診療した患者数と訪問回数
在宅での療養患者、施設の入所患者および病院入院患者別に集計しました。患者数は、病院訪問診療が正式に大阪府歯科医師会への報告事項に追加された平成10年度分以降のデータで、訪問回数は、これも報告事項に追加平成12年度分以降のデータです。
≪患者数≫
在宅 498名
施設 650名
病院 518名
場所・患者
≪訪問回数≫
在宅 2059回
施設 974回
病院 1104回
場所・回数
以上で、データの提供を終了します。
今回は、あえて分析を提示しませんが、このホームページを訪問した方自身で考察してみてください。
また、診療内容などのデータは、機会があれば提供しようと思っていますが、平成18年中旬頃には大正区歯科医師会が実施した平成8年度〜平成17年度の10年間にわたる実績報告が公表できると思いますから、ご期待ください。
最後に、訪問診療に係ってくださっている会員先生方に、重ねて厚く御礼申し上げます。
 
(2006年3月)
梶原先生

今回は、私の風邪ひきについて話をしたいと思います。
今までは、滅多に風邪をひく事もなく風邪をひいても2、3日で治っていました。
年間300回ぐらい、サウナに入ったり、又水風呂に入っているからではないかと思っています。
サウナでは、血流を促し、老廃物を排除したり気管支のウイルスを少しは、除去してくれるのではないかと思っていました。
今年になって1月中旬より風邪をひき、1週間ぐらい熱が37度で、喉と関節が、少し痛いぐらいでした。
1日2回抗生物質と解熱剤を3日間服用しました。
95%は、治っているのですが、5%ぐらいは、少し喉の痛みが、現在も続いています。
流感の場合は、高熱がでますが、タミフルを服用する事で2〜3日でよくなるみたいです。
現在は、サウナに入ってはいますが、寒気がしそうで水風呂に入る事は出来ません。
新陳代謝が、低下してきているかなと思うこの頃です。

(2006年2月)

穏やかな大阪の四季。昔、大阪で雪を見た私は、少しは雪の積もるのも味わい、触れたいと云う窃かな期待を懐きながら来阪し、二十一年も経って仕舞った。二度、三度と稀有な機会にそれは適った。窓に掛かる雪は色取り取りにその結晶の模様を刻み付け、溶けては消え、溶けては消えして、又掛かる。この淡い巡還はいつまでも変わろうとしない。今に、直に春は訪れ、又、次には暑い冬が来るかも知れないのに…。
今、この雪の中で鴨や鴛鴦、烏や鳶、狗や猿などの禽獣は食物を探さねばならないが、積もった大雪の思わぬ恵みによって、容易に得られることにも、或いは飢餓を彷徨うことにもなる。(何れ、必死の事であるが…)人も又然り。スノーボードやサーフィンに興ずる若者等も、埋もれた屋内で木の軋みを聴きながら天候回復を願う人々もあまり変わりないと云う事になるのか…。
雪の折る木は折れるべくして折られ、そうして山全体の植生の均衡が保たれると云う蓋然性に依っているのであって、弱いとか、枯れているとかだけの単純な支配原理のみ従っている訳ではない。だから意外な檜(桧)の植林帯の若木の無惨な幹の雪折れが瞠目を誘うのは皮相と云う外ない。
何故、どうして降ろうとも人力の及ばぬものなれば、オロオロと雪踏み、雪掻き、雪降ろし、“大雪は豊年の兆し”とは云え、もう結構!
 
(2006年1月)
住居を大阪から池田へ移し、早30年が経過。還暦を過ぎ子供を一人前、孫にも恵まれ他人から見れば羨ましく思われるかも知れないが、そう簡単に行かないのが人の世の常。近い将来貰える筈の年金も大幅に減少、バブル時高値で購入したゴルフ会員権のローンは未だ残ったまま・・・悠々自適の生活は当分の間おあづけである。
 
近頃世の中健康ブーム、若い頃は自分の健康には無頓着で、深酒、寝不足の連続も若さで乗り切って来たが、60を過ぎるとそうは行かないことを自分の体が教えてくれる。お酒は週に3日の休肝日を作り週末にゆっくり飲むペースを守っているせいか、体調はすこぶる良い。年に一度の健康診断でも特に悪い所は見つかっていないが、中性脂肪は若干多いようである。それもその筈、通勤は車で往復、仕事も一日中座ったまま、家へ帰ったらゴロ寝で、たまにゴルフをしてもカートに乗ったままじゃコレステロールが貯まるのも不思議ではない。
友人の医者からとにかくもっと体を動かせ、運動しろとの忠告を受け、運動不足の解消に乗り出した次第である。
 
健康のため何か特別に運動を始めると言ってもジムへ通う気力はゼロ、ジョギングはハード過ぎて心臓に悪いので、医者のアドバイスに従い一番手軽で安全なウォーキングを開始することにする。ウォーキングと言えども散歩程度のものから競歩に至るまで差が大きいので、一汗かく程度と決め、実行に移すことにした。
考えてみると住居近くの五月山、箕面界隈はウォーキングポイントに恵まれた場所である。池田の五月山にはハイキングコースがいくつもあり、箕面は滝へ行く道が1〜2時間の散歩やウォーキングには理想的な道である。五月山は春の桜、つつじは見もので、何回も足を運んだものだが、箕面も五月山に劣らず景色はすばらしいので、最近は月に何度か箕面の滝道を歩くようにしている。五月山は川の水が乏しく緑が少し乾いた感じがするが、箕面は水量の豊かな川が流れているせいで緑が濃く、疲れた時には気持ちをなごませてくれる。春は新緑、秋は紅葉が特に美しく、滝への道は片道約3km、急な勾配は少なく、行き帰りを早足して歩いてもここちよい疲れを感じる位の距離である。喉の渇きを覚えた時には、道沿いに洒落た喫茶店があり、お茶を楽しむのも一興である。
ウォーキングを始めてからまだコレステロール値が下がる程の効果は出ていないが、歩いた後は疲れでぐっすり眠れ、心身ともにリフレッシュできるので当分続けるつもりでいる。滝道のウォーキングの予期せぬ効果のひとつに、ゴルフのショットが少し良くなって来た感じがするのは気のせいであろうか。
 
小さい頃皆さん一度は箕面へ遠足に行った記憶がある筈。観光客の食べ物を強引に奪い取る悪名高い暴力ザルの群れも餌付けが成功して奥山へ移動したので、はぐれ猿を除き、安心してハイキングできるようになったのは嬉しい。
皆さんチャンスを見つけ、再度老いも若きも楽しめる箕面滝道をウォーキングしませんか。昆虫館は子供達を連れて行くと大喜びしますよ。
 
(2005年12月)
奥間先生

今年8月に"ダイアローグ・イン・ザ・ダーク"(D・I・D)なる催しに参加し、初めての経験でしたので、紹介がてら感想も少し書きたいと思います。
D・I・Dは、ドイツのアンドレス博士のアイデアで生まれ、ヨーロッパを中心に広がり、日本でも2000年に神戸「シーベックホール」で第1回目が開催され、その後1万人以上の方々が体験し今年も同じ「シーベックホール」で催されました。D・I・Dの主な目的は、視覚以外の感覚の幅、人間同士のコミュニケーションや連帯の幅を広げ、障害を持つ人々との新しい関係が生まれ、又その大切さに気付く事で多様な価値観を認め又多様な創造が芽生えてくる事を目指す事だそうです。
会場では7人がユニットになり、各々自己紹介して行動を共にしますが、実際には真暗な会場内を行動するので、名前と顔が一致しません。疑似日常生活空間の中を動くため全盲の方がガイドとして案内してくれます。会場に入る前に白杖を選ぶのですが、この白杖がどんなに頼りになる物であるかつくづく思い知りました。不安な面持ちで会場に入ると、伝言ゲームのようにガイドの方の声を伝えあって進むのですが、それでも右往左往してヨタヨタ歩きになります。赤外線カメラでその様子をみたら、きっと面白い光景だと思います。
それでも鳥の声、森の木々、川の流れや水の冷たさを全身で感じ、階段の上り下りの恐怖感、ブランコの浮遊感、テーブルに置いてある果物、野菜の香りや手ざわり、途中に設けられた喫茶店で飲んだ紅茶の味、全て新鮮に感じられ、気付かなかった事を気付かせてくれるそんな体験をしました。
妻と息子にも好評で、次の機会にも是非参加したいとの事、8月の暑い時期の楽しくて考えさせられる貴重な体験でした。

(2005年11月)

大家先生・キャンプ

毎年、夏休みは、家族で北海道にキャンプ旅行に出かけている。今年で4回目の渡道になり、それも、往復のフェリーのチケットだけ確保するだけでの旅行で、キャンピングカーで、それに家財道具一式を積み込み、静かな場所を探して移動するだけである。20年くらい前に、友人と3人で乗用車にテントを積み込みほぼ1周したときは、10泊すべてテントで寝泊りしながらの旅だったけれども、念願の放浪旅行の頂点であるキャンピングカーを手に入れる事ができた。ここ4年間は、テントを設営するのはオートキャンプ場ぐらいで、ほとんど寝泊りに苦労することがなくなり、快適な旅を楽しんでいる。それでも、天気がよければ一人でテントの中で寝袋に包まって大酒を飲みながら寝ることが多い。日の出とともに目覚め、暗くなってくると寝る仕度を始める。北海道は、大阪とはかなりの温度差があり、また、騒音もほとんどなく、普段経験できないくらいの熟睡ができる。食事は、天気がよければ外ですることもあり、どんな質素な料理でも格別のおいしさを感じる。温泉もかなりのもので、1日に2回は入ることが多く、料金も、大人300円から500円前後で、露天風呂付きで楽しめる。ただ、行き帰りのフェリーが、舞鶴から、小樽まで21時間はかかり、船酔いなど船旅が苦手な人はまず、無理である。20年前は、同じ航路で35時間もかかったので、かなり楽にはなったのだけれど。

今年は、徒歩でしか行けない東雲湖という幻の湖に、行くのが最大の目的であったので、天候を随時、チェックしながらの移動になった。東雲湖は、帯広市の北に位置する大雪山国立公園にあり、熊が出そうな原生林の中を片道2時間かけて歩くと、眼下に見えてくる。ほとんど、霧におおわれ、霧が晴れると手付かずの自然に囲まれた湖を見ることができた。

さて、来年は、どうするか1年かけての無計画旅行の構想に今夜も、地図とにらめっこになりそうだ。

(2005年9月)

6月になると、カーレースの3大タイトルの一つ、ル・マン24時間レースが開催される。ル・マン24時間レースとは、フランスのル・マン市にあるサルテサーキット+公道で構成された周回路を、24時間で最も多く周回したマシンが優勝するという世界一過酷な耐久レースのことである。
その優勝記録で最多周回数、言い換えれば最長距離が記録されたのはいつだったかご存じだろうか?これはかなり過去で、今から34年前1971年に5335,3Kmという途轍もない距離が記録されている。そのマシンは、ポルシェ917K(ドライバーは、G・V・レンネップとH ・マルコ)。
ポルシェ917とは(以降917と略す)どんなマシンであったのか、映画「栄光のル・マン」でスティーブ・マックインがドライブしていたマシンといえば、知っている方もおられるだろう。917は、1970年から耐久レースのレギュレーションが変更されることになったが故に誕生した。そのレギュレーションとは、排気量5000CC以下、重量800Kg以上、生産台数25台以上、をクリアーしたマシンが上限になるというもので、ル・マン優勝を目論むポルシェ社にとって大問題になった。というのもレギュレーションが決定した1968年当時ポルシェ社における最大のレーシングエンジンは3000CC、ライバルと目されるフェラーリ社やフォード社では5000CCエンジンの開発が容易と伝聞されている以上、悲願のル・マン初優勝がポルシェ社からさらに遠のくかもしれなくなったのである。
まだ2年先であることが幸いした。その3000CCエンジン(908型、水平対向8気筒)のピストン、シリンダーを流用して、4500CCエンジン(912型、水平対向12気筒)を1969年シーズンを前に完成させてしまう。実戦でテストして、来たるべき1970年に備えるという作戦である。案の定、トラブル続出でまともに走らず、このプロジェクトは失敗かとも思われたのだが、1969年のル・マンに於て結局リタイアするものの21時間トップを走り続けるなど活躍し始め、シーズンも終盤オーストリア1000Kmレースで917は初優勝を遂げる。まさに、ポルシェの名に恥じぬ速さと強靱な耐久性を合わせ持つレーシングカーの誕生であった。
そして欠点を洗い出した結果、新型ボディをまとい5000CCまでボアアップしたエンジンを搭載した1970年型917が登場。ワークス活動は、前年までフォードを走らせル・マンで数100m差でポルシェに涙を飲ませたJ・W・オートモティブティームに任せ、メーカーは改良に専念する分業体制で戦っていく。917は順調に勝ち進んでいき、迎えたル・マン24時間、ワークス・カーがトラブルで遅れていくなか、サポート・チームのザルツブルク・ポルシェからエントリーした917K(シャシNo.023、現在日本の松田コレクション・ポルシェミュージアムに動体保存されている)がポルシェに初優勝をプレゼントする(ドライバー、H・ヘルマン、R・アトウッド)。勢いに乗った917はチャンピオンを獲得する。最大のライバル、フェラーリ512Sは惨敗を喫する。
そして1971年、ポルシェは2年連続優勝を狙って、917L(L=Langロングテールの意味、K=Kurzショートテールの意味)というル・マン用スペシャルマシンを投入、圧倒的なポールポジションを獲得する。しかし、優勝したのは917K(シャシNo.053)、外観こそノーマルだが、中身はこれもスペシャル・マシンであった。だいたいこのマシンは完成重量が917中最軽量の760Kgしかなかった。それは通常のアルミ製であるパイプフレームシャシーをマグネシウム製にしてあったためだった。そのため、規定重量をクリアすべく重石を乗せねばならなくなったのだが、それを利用して燃料の増減やタイヤの摩擦による操縦変化を最小限にとどめるよう重石を車体各所に分散してしまっていた。これはドライバーの疲労を劇的に軽減した他、車体の疲労まで軽減してしまった。さまざまな要因も絡み、この917はル・マン史上最長不倒距離を樹立してしまった。
ただ917はあまりにも強すぎたため、1972年以降締め出されてしまい、活躍の場をアメリカの排気量、馬力、無制限のCAN−AMシリーズに移す。ところがここでも無敵になってしまって、とうとう行き場を失うはめになってしまう。
しかし917はポルシェ社に数々の技術革新をもたらしていった。例えばディスクブレーキ、世界で初めて放熱用の穴空きベンチレーテッドディスクを使用したのが1971年ル・マン優勝車なのである。また車体の軽量化もそうである。CAM−AMシリーズで実用化できたのがターボチャージャーである。これらの技術は後に1981年からのポルシェによるル・マン7連覇に全てつながっている。
その強さ故サーキットから追放された917。しかしその開発中に生まれたたくさんの技術は現在の車達にも活かされている。我々人間も名前ではなく実を後世に残せたら幸いではなかろうか。
最後に微笑ましいエピソードを一つ。1981年、たった一度だけ917はル・マンに蘇った。すでに老雄、予選も下位、本戦でも夜までにリタイア。しかし一時、917が8位まで順位を上げた時、観客、すべてのチームのピットから、惜しみない拍手喝采がおこったのである。
やはり917は偉大なマシンであった。
 
(2005年7月)
杉井幸穂先生

はじめまして。平成17年3月 故父杉井伸也の後を受け 大正区歯科医師会に入会させて頂きました杉井幸穂です。私は、大阪歯科大学を平成2年に卒業し、現在は母(育子)、夫(則夫)、長男(良成小4)、次男(研政小1)、三男(翔栄1才)の6人で生活しています。

エッセイ〜渡し船〜に、今から十年程前のある夜の盛大なパーティでのお話をさせて頂きます。

それはそれは艶やかな時間でした。始まってまもなく、一瞬会場の賑わいがざわめきに変わった瞬間扉が開き、小柄でがっしりとした女性が真紅のドレスを纏い髪をシニヨンにまとめて二人の男性にエスコートされて入って来ました。サルバドール・ダリのデザインした指が隠れてしまうほどの大きなルビーのリングとダイヤとルビーのブレスレットを身につけ、威厳に満ち、圧倒的な存在感で登場したのです。タキシードを着た絶世の美男子二人を従えたその姿は、会場にいたすべての女性を霞ませした。彼女の指にはシガーリングがはめられ、その指を差し出すと片方の彼がシガーを恭しく差し出し、もう片方の彼が火をつけたのです。それはまるで絵画か映画を見ているような美しい光景でした。彼らを見ていると、彼女に尽くすことを心から幸福と感じ、敬愛の念に満ち溢れているのが分かりました。決してお金で雇われただけのボディガードではなく、彼らは彼女を尊敬し心から愛情を注いでいるようにみえました。彼女は決して美人ではありませんでした。それでも周りの人間に深い敬愛の念を抱かせるほどの魅力がありました。会場を静寂に変えるほどのオーラは彼女の人柄にあったことはいうまでもないでしょう。彼女はいい意味で唯一無二の女性だったのです。女性は「求められる女」でいなければならないのではないでしょうか。自分の代わりはいない、唯一の存在として求められる女性こそ本当に魅力のある女性なのではないでしょうか。教養があり、美意識が高く、奥ゆかしさがあり、マナーをわきまえ自らオーラを放つそんな女性になりたいと日々精進しております。

今後も皆様のご指導の程宜しくお願い致します。

(2005年6月)

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