右色先生・犬

吾輩は犬であります。名前は「ロン」といいます。シーズーという犬種で4才のメスです。
麻雀が好きな飼主が家族の反対をおしきってオスのような名前をつけました。最初は違和感がありましたが、最近では呼びやすいと、家族にも評判のようです。

この家に飼われて4年少々たちますが、今思えば飼主は最初吾輩を飼うことをあまり喜んではなかったです。飼主の子供にせがまれ仕方なくでした。

吾輩も赤ちゃんの時はやんちゃで家の中のあちこちで便や尿をしたり、飼主の手を思いきり咬んだりしました。よく飼主が嫁にむかって「ペットショップに返してこい。」とどなっていました。ところが最近、吾輩も成犬となり人間に対して上手に甘える事を覚えました。
飼主も吾輩の事をすっかり気に入って家族の一員と認めているようです。それどころか毎日仕事から帰ってくるとまず最初に吾輩のところに来て体中なでてくれます。家に帰ってきてすぐはこわい飼い主の顔が徐々におだやかな表情になっていくのがわかります。吾輩は飼主に「癒し」を与えていると思います。
ストレスのたまる仕事をしている歯科医師会の皆様、吾輩のような「癒し」を飼ってみてはいかがですか?

以上、我家の愛犬の気持ちを想像して書きました。

(2005年5月)

私にとって最大のわる〜い趣味は、プラモデルである。小学校3年から始めたから、かれこれ30数年になろうか。
 
最初は接着剤ベタベタで彩色もせず、それで満足。形さえできたら良し。出来たプラモで空戦、海戦、零戦や大和が最強とか言って可愛らしいことこの上無し。
中学校の時だった。文化祭で私のグループはF-1をとりあげた。もちろん展示はプラモデルである。またその中に改造のうまいヤツが居り、キットになってないマシンを2〜3台展示してくれた。ショック・・・・・・・。また他のグループの展示した大戦中の戦闘機群、エアブラシを用いた本格的な塗装。またまた大ショック・・・・。
その日から特訓開始、プラモ道まっしぐら、勉強そっちのけ。結局やめろと言う親の命令無視。改造テクニックは鉄道研究部に入り鉄道模型で造形、塗装を学ぶ始末。部屋はシンナー臭でいっぱい。よく中毒にならなかったものだ。
 
現在、機材がそろっているため診療所の技工室がプラモデル工房でもある。ただ以前に比べて余暇が少ないので、製作がゆっくりになってしまい未製作のキットが山と化している。ネットで売ってしまえという外野の声も馬耳東風。あくまでマイペースでやっている。
今まで一番多く手がけてきたからか、カーマニアだからか、一応カーモデラーを名乗っている。カーモデルの命はボディの塗装にある。気温、湿度、本人のやる気などによって左右されるので結構気をつかう。特に、仕上げの艶出しクリアーの塗料など約1週間たたないと乾燥してくれないからたいへんである。下手するとボディ仕上げだけで1カ月以上かかってしまう。その上、室内仕上げ、灯火類のリアル度、ホイールのエアバルブ、いったんハマルときりがない。給油口のキャップをメタルでキャストしたことまである。
 
人に言われるまでもなく完全にビョウキであり、これを別名オタクという。
ただ、寝ても覚めても細かい作業ばかりやっていると、歯科診療を行う上で指先の訓練には事欠かず、非常に役だっているのもまた事実である。
 
人に言われたことがある、「仕事と趣味が一致しているのは幸せなことである。」と。
まだまだやり続けていきますよ。
 
(2005年4月)
<長男の七五三>
近所の神社に行ってもよかったのですが、僕のときは住吉大社に行ったので、今回も住吉大社に行ってきました。日曜日ということもあって、混雑が予想されたため早起きして準備してたのですが、子供がじっとしてないので着付けに手間取ってしまい、住吉大社に到着したらすでに駐車場はいっぱいで、お参りの受付にも人があふれていました。人数が多いためまとめて何十組もお参りするのでありがたさもどこへやら。お参りを終えて写真撮影、その後ホテルでランチ、七五三フルコースで家に着いたらクタクタでした。
 
この日は三師会のソフトボール大会と重なってしまい残念ながら参加できませんでした。(七五三の事を忘れていて行く気満々だったんですが・・・)前回の支部対抗ソフトボール大会での不甲斐なさに次こそはと、試合の翌日から毎日自宅のある12階までエレベーターを使わずに歩きでがんばっていたのですが・・・来年また頑張ります。
 
<長女2歳になる>
長女が11月で2歳になりました。だいぶ言葉も増えてきてかわいい盛りです。でも何かにつけて「パパいや〜」を連発するのです。普段嫌がることをするからだと言われるのですが、心当たりはありません?
これまでは「男でも女でも子供は子供」と思ってたのですが、実際のところかわいさが全然違いますね!ママがいるときはあまりパパのほうには寄って来ないのですが、たまに二人っきりのときなどに、ちょこんと膝の上に座りに来たりなんかするとちょっぴり幸せな気分です。悪さをしたときも長男だと殴れるけど、長女には絶対無理と思ってしまいます。やっぱり「子供でも男は男、女は女」でした。
 
<コマなし自転車>
長男が補助輪なしの自転車に乗れるようになりました。自分のときはどんなだったかはもう覚えていませんが、よくテレビのドキュメントとかでやってるように何度も何度もこけて、ようやく太陽が沈みかけた頃に何とかフラフラしながらも乗れるようになるってイメージだったのですが、何のことはない、手を離したらいきなり走って行っちゃいました。ちょっとびっくりしたのですがやはりブレーキをかけて止まったりするのが難しいみたいで、そこで何度も転んでいました。ある程度スピードが出てから手を離すと簡単に進んでいくのですが、止まった状態からのスタートがかなり難しいみたいで教えるのが大変でした。子供と一緒に自転車で遠出する日が今から待ち遠しいです。
 
子供は日に日に成長してるようです、パパはまた横に成長したような・・・
 
(2005年2月)
15年程前から毎年同じ時期に人間ドック受診をして居りますが加齢と共に新陳代謝が悪くなり正常値ギリギリのところです。日頃、適度に運動をし、比較的規則正しい生活をしているつもりでも難しいものですね。
 
我々の身体は日々年齢と共に刻々と変化しています、何気ない生活の中で確実に老化の道を歩んでいます。近年「健康」が国民の関心事となり、幅広い年齢層が運動やスポーツを行い“自分の健康は自分で守る”という意識が定着して来ました。ただ身体を動かせば“健康”につながると言うものでは有りませんが、私はテニスを楽しんで居ります。
 
最近は毎年、11月3日に行われています大阪府歯科医師会のテニス大会(壮年の部)に出場しています。壮年の部は毎年6チーム位参加されており、勝つ事よりも今年も元気で会えて良かったねと親睦をはかって居ります。過去4回出場して優勝3回、3位1回させて頂きました。健康維持の為にも頑張り過ぎず、楽しみながら心地よい汗をかいて“継続”出来ればと願って居ります。
 
(2005年1月)
本年(平成16年)7月より、故中村義一先生の後を受けまして中村歯科医院を預からせていただくことになりました、清川信泰です。よろしくお願いいたします。大阪歯科大学27期卒で、けっこう年はくっていますがいつまでも大人になりきれないという困った男です、今後ともどうかよろしくお願いします。
 
さてエッセイをとの仰せですが、はて何を書いたらよいものか?まずは2番目位に好きな(なんで2番目やねんと大阪人の証であるつっこみを入れといて)音楽の話でもさせてもらいましょうか。
 
学生時代、軽音楽部でジャズのまねごとなどやっておりましたので、音楽は好きでジャンルを問わず気に入ったものは何でも聞いています。その中でも女性ボーカルが好きで、今特に気に入っているのはジャズボーカルのステイシー・ケントですね。くつろいで聞くにはぴったりのチャーミングな声で、酒でも飲みながら聞くとなかなか至福のひとときが味わえます。お薦めです。
落ち込んだ時なんかは思いきり暗い音楽、例えばチャイコフスキーの悲愴なんかを大音量で聞くと、かえってすっきりします。逆療法というやつですかね。
休日なんかはFM放送をつけっぱなしが多いですね。それこそポップスから世界の民族音楽までなんでも有りで、どんなジャンルのものでも一流と言われている人のものは聞いた瞬間に好きになるものから、だんだんに良さが解ってくるものまで有ります。普通はそうなんですがそんな中でどうしてもなじめない歌手が一人います。普通の人が誰もが最高のジャズボーカリストだと言うビリーホリデイが私には理解できないんです。解らないのが悔しくて、時々聞いてみるんですが今だに一度も良いと思ったことがありません。何度聞いてもだみ声のおばさんがうなっているようにしか聞こえないから情けない。
他のビリーホリデイ風の歌手、カーメンマックレーあたりは好きなんですけど、不思議なことに本家のビリーホリデイがどうしても解らない。
ビリーホリデイは通人の大人にしか理解できない音楽ということなんですかね?
 
つまらない話で恐縮です。次はどなたか格調の高いお話をお願いします。
それでは失礼します。
 
(2004年12月)
家入先生

エッセイ〜渡し船〜 の依頼を受けて
一番苦手な依頼である。と云っても断る訳にもいかずハイ解りましたと返事をしてしまった。
渡し船に乗ってこられた先生方。
先生方の日頃の思い、印象に残った事、趣味の事、等々…今迄知る事の出来なかった先生方の一面がうかがえて感心したり、感動したり、エッセイも仲々いいものだと思わさせられた。

ところで私は大変な多趣味屋である。とにかく広く浅くがモットー、良く云えば何でも出来るが、実のところ何ひとつ極める事が出来ないという事でもある。
学生時代も3つクラブに所属していた。陸上競技部で中長距離ランナー、山岳部で登山とスキー、ハワイアンバンドでボーカル。学外では表千家の茶道、ダンス競技、下宿の壁は自分で描いた絵でいっぱい…とこういった具合、仕事をする様になってからは、旅行、ゴルフ、ヨット、クルーザー。クルーザーと云えば友人達とよくクルーザーで旅行に出かけたものである。
そんな旅行のひとつで経験した奇妙な出来事それについて書いてみたいと思う。

それは何年か前の7月の土曜日の午後、大阪港を出発、淡路島へ向かっている途中の出来事である。その日は薄曇り、風も無く海は非常に穏やかであった。
天気の良い日は淡路島が見えるのだが曇りの上に少しもやがかかった様な天候の為遠くは何も見えず、海にいるのはまるで自分達の船だけが走っているみたいであった。
計器による航行を続けているうちに極端に静かな海面に入った。まるで油を流した様にさざ波ひとつ無い状態である。その時なにげなく右の方を見ると神戸方向の上空にキラキラと、明るくオレンジ色に輝く3つの丸い物体が見えた。
今まで見た事も無い様な輝きであった。皆がなんだなんだと口々に云いだした。
私は太陽が雲のきれ目から遠くのビルのガラスか工場の屋根に反射して光っているのだろうと思った。ただそれにしては輝き過ぎるなぁと思った。
そのうち皆もあんなに輝くものは見た事が無い、一体何だろうと云いだした。光の方へ行ってみようと誰かが云った。
私は船を光の方へ向け走らせた。
暫く走ってみたのだがそのうちにだんだんとなんとなく気味が悪くなって来た。
更に背筋に寒いものが走りゾーッとして来た。
皆も同じ気持ちだったらしくざわざわ騒ぎだした。
これ以上近づくのはやめよう。何か解らないという恐怖感が湧いて来た。あわててUターン反対方向へ全速で走った。洲本の港について多くの船や忙しそうに歩く人々を目にして初めてほっとした。

たんなる光の筈なのに、遠くの物体なのに、我々に恐怖感を湧かせたのは一体何だったのだろう。
過去にこんな思いをした事は無かった。何か別のものがそれを感じさせたのだろうか。
結局その時も、その後もオレンジ色に輝く光の正体は何であったか解らなかった。
結末のない出来事なのだが今でもその時の光景ははっきりと憶えているし、決して忘れる事の出来ない経験であったという事はまちがいない。
その後何度も海へ出ているがキラキラと輝くオレンジ色の光は一度も見た事が無い。
・・・あれはUFOだったのだろうか・・・まさか・・・・・

(2004年11月)

平成7年に大阪歯科医師国保組合から、「賢歩de健歩―ウォーキングマップ関西」という小冊子が配布された。1時間から3時間ほどのウォーキングコースと所要時間や、コースの地図が掲載されている。
 生来、運動嫌いの私にとっては、歩くだけが運動らしいもので、結構この冊子を重宝している。ただ、遠方まで出かけるのは最近億劫なので、もっぱら、大阪市内だけで、いわばタウンウォッチングを兼ねた散歩と言う所か。運動と言うにはおこがましいが、それでも、思わぬ所で古い道標を見つけたり、ビルの一隅に祀られた地蔵尊に出会ったりする楽しさがある。
 大阪市は、「歴史の散歩道」として歴史的建造物や、遺跡周辺の歩道に特別文様の石標を埋め込んで、それを辿りながら歩けるようにしているので、それを探して行くのも一興である。
 午後家を出て、大体3時間程度を目安に歩き回る。これが私の唯一の健康法だ。
 
(2004年10月)
子供の成長、発達は目を見張るものがある。
赤子は腹が空くと泣く。あの甲高い声、それはそれは乳を貰えるまで何分でも泣き続ける。
そのエネルギーたるものはすごい。乳を貰えると皺々の赤い顔が瞬く間に優しい、仏の様な顔になり、満ち足りると落ち着いた顔をし、目を閉じて寝る。その表情を見ているだけで幸せを感じさせてくれる。
 
一般に言われる事だが、子供が産まれて這うようになると、次は立て、立てば歩めと思うのが親心。
だが、前へ前へと進もうと頑張っても這い初めは後ずさりになり、前に進める様になると、それを面白がって親の後を追い掛ける。そのうち姿が見えないと捜し回り、手足が擦れて傷ついても必死にその姿を求める。そのエネルギーたるものはすごいものがある。
 
そして離乳食、言葉も覚え、意思表示が出来る様になって、学校へ行き、成人となり、職につき成長、進歩していく。その間の一年、一年の変貌ぶり、見掛、外観もさるものながら、内に燃える闘志&エネルギーたるものはこれもまたすごい。
 
ここで今の自分を振り返ってみるに、年を重ねてきた大人の私は然したる変化もなく、成長しているかと問われれば、かっこ良く言わせてもらえば熟成しつつあるという所だろうか。家族が安心して日常生活が出来る様に働き、少しでも人の為に汗を流せる様に、これ迄培ってきた事を活かそうと励み、頭で解っていても薄らぐ事が増える為、人の話、書物等の外的刺激により、その時々の感動を奮い起し、人を動かして少しずつでも、見える、見えないにかかわらずやっていこうと思う。
 
孫を見ていてそう思う次第である。
 
(2004年9月)
拙者は、我が主人が愛用する“入れ歯”と云う名前のついた代物である。人工的に造られた人間の歯の代用品とも云えよう。拙者を産み出してくれたのは、我が主人がかかりつけの歯科医院であるが、作成した側からすれば、人間の身体の一部分として、医学的にもその役割や機能を果たしてもらえる様に、丹精込めて夫々の手順を経て、拙者の誕生と相成った次第である。しかし、そもそも拙者の登場は、我が主人が自分の親から授かった生来の自分の歯に対する“大切さ”を軽んじて、歯に備わった種々の機能はおろか、歯そのものに支障を招いた事に他ならない。その結果拙者の登場と相成った次第である。
 
当初、我が主人は入れ歯をはめると云う初体験からか、いろいろの紆余曲折を経て、自分の脳幹をも揺るがす程の異常感を味わう事になったが、徐々に鍛えられ、今では離す事の出来ない不可欠の間柄となり、拙者に頼り切っている程である。
 
いざ、現実を想う時、我が主人がもっと早くから、口腔衛生面に深い理解を示し、高い関心を寄せていたならば、拙者の出番は無かったかも知れないし、今、問われている8020運動の枠の中で自分の人生を果たしていく事が可能であったかも知れない。
 
しかし、現在拙者と我が主人とは親密な関係にあり、食生活や生活機能、或いは顔などとの審美的な作用にまで充分にその役割を果たし、我が主人が現代の高齢化社会の一員として、その一翼を担おうと努力をしている姿を目の当たりにする時、拙者も又、少し大袈裟かも知れないが“大きな貢献をしているのかな”と自負している次第である。
 
しかし逆に世間一般に広く目を転ずれば、全てが我が主人と拙者との関係であるとは限らない。その逆も又、真なりである。
 
世間の我が同輩“入れ歯”達よ
“頑張れ!!そして自分の主人と上手く付き合え!! もっとなじみになってやれ!! いざ!!”
 
(2004年8月)
雑談中、昼休み時間をどのように過ごしているかが話題になった。
大家先生「コンピューターでインターネット」
和泉先生「ベッドに入り、本格的に昼寝。それでは、こいさんは?」
小泉「木工」
大家先生「仕事で歯を削っているのに、休み時間でも木を削っているのですか?!」
小泉「???」
 
薄茶色のラブラドール・レトリーバー(名はゴン太)を飼っている。よく盲導犬に使われる犬種。室内犬にしている人も多いが、我が家は屋外犬。
餌が雨で濡れないよう、ホームセンターで購入した犬小屋に当初2畳ほどの屋根を自作した。数年経過して屋根が壊れてきたので作り直すことになったが、最初の苦労が脳裏をよぎる。あのときキリで手にマメができたっけ。ネジまわしの多用で腕が痛くなったなぁ〜
 
今回は10年以上もつ頑丈な屋根にしようと思うと、なおさら大変。そこで先ず電動ドライバーを購入。これが、いたって快適。ネジには当然のこと、先端の部品(ビット)を交換すればキリにも応用できる。納戸でほこりをかぶっていた電動ノコギリ(丸ノコ)もひっぱり出す。
前回は24mm角の木材を使っていたが、今度はより太い36mm角なのに省エネで簡単にできた。家族が「丈夫で半永久的!!!」とお世辞。
 
おだてられると病コウモウになり、木工生活の開始。
診療所内の内装部でネジの外れている箇所がないかなぁ〜 どんなものが作れるだろうかなぁ〜
電動ドライバーの使い心地にとりつかれて、無理やり用途を思案。
昼休みに、素人にとって定番である棚、踏み台、小さなテーブルなどの小物製作からとりかかる。
いくつかの作品を体験すると、生意気にも他の電動工具までほしくなってくる。
電動サンダー、電動グラインダー、ジクソー(糸ノコ風電動ノコギリ)、コードレスドライバー。まだ電動カンナは持っていないが、きわめつけはトリマ(ルーターともいう)で、これが最高。種々のビットがあり、木材の面取りや溝彫りには不可欠。もう手放せません。
治具(これは自作する)を併用すると美しい飾りや文字も彫れて、飾り穴を空けることもできる。
トリマ使用で直径35cmの小型円形ターンテーブルを作り、食卓上の調味料置きにしている。
「こんなクルクル回転する中華料理屋風のもの、普通の家にはないよ!」と息子にからかわれた。
 
木工にのめり込み、いまでは電動丸ノコを手作りのテーブルソーとして使い、本格派を気取っている。
自家製テーブルソーは木材で頑強なテーブルを作り、その天板に丸ノコの刃が出る程度の細い溝を空ける。そして丸ノコを、刃を上にして天板の下側から固定すると出来上がり。
丸ノコを移動するのではなく材料を動かすタイプで、安全で正確に同寸法を大量にカットできる優れもの。
 
診療室に棚板の間隔が調節可能な飾り棚を設置した。
ある日、女性の患者さんが「この棚は先生作ですか?」と問うた。
「ヘタだから、すぐに分かったでしょう」
「いや、そうではなくて・・・ お上手ですよ。私の父が大工だから分かるんです」
「それは?」
「鉛筆の墨入れ跡を消し忘れているのですもの」
 
家族から作品のリクエストがくるようになり、電動工具使用で昼休みの木工がますます楽しくなっている。最近の自信作は折りたたみ式飾り棚で、2段の踏み台(ハシゴ)や椅子にも転用できる製品。
自作のワインラックからブドウ酒を取り出し、次はどんな作品に挑戦しようかなと瞑想。
 
みなさまは、お昼休み時間をどのようにしてお過ごしでしょうか?
 
(2004年7月)

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