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現在67歳、年を重ねる程1年という月日を短く感じるようである。今年も、もう12月、ついこの間お正月だ、桜の花だ、夜空の花火だと騒いでいた筈なのに、もう新しい年が目の前にやって来ている。

幼い頃の1年はもっと、もっと、もっと長かったように感じていたのに。実際、お年玉をもらってから、次のお年玉までがとても長い様な気がした記憶がある。

長い様でもあり、短い様でもある今までの人生。
思い出すことすら出来ない山ほどの事。
僅かしか憶えていないたくさんの事。
もちろん、忘れる事のできない多くの事を含めて、様々な事があった今までの人生。
振り返ってみると、本当に永い人生を過ごしてきたような気がする。
その反面、学校に通っていた頃や、結婚したのもついこの間のように感じる事もある。
人生とは不思議な物です。
人生とは長いのでしょうか、短いのでしょうか?
その人、その人によるのでしょうか?

毎日々多くの患者さんの診療をしていた頃は、忙しくても充実感がありやりがいもあった。人の倍働き、人の倍遊び、人生を2倍楽しもうなんてバカな事を考えていた頃でした。今思い出すと懐かしくもあります。

最近、この仕事を趣味だと思っている。
患者さんの少ないこの頃は、一人一人の患者さんに充分時間をかけ、丁寧に満足のいく迄楽しみながら治療をする事ができる。その結果、患者さんにもよく理解をしていただき、非常に喜んでくださる事になる。私自身も充実感にみたされる。
今まで出会った中で最高の趣味です。

自分が元気な限りこの楽しい仕事を続けていこうとおもいます。

短く感じる1年を十分に充実したそして忘れないものにする為に。

7月11日 友人と二人で「高野街道」を歩いてきました。

この街道は南海高野線や高野山道路ができるまでは 数百年のあいだ歩いて高野山に参詣する人々で賑わった道です。この日は南海高野線「紀伊神谷駅」をスタートし、 「学文路(かむろ)駅」までの約12キロの道です。当日は梅雨の明ける直前でしっかりと雨が降り蒸し暑い一日でした。

そのときの写真を入れて 見たもの、ふれたものを紹介します。

紀伊神谷駅を出て 10分ほど歩くと「日本最後の敵討ち」の場所があります。数百年の間「敵討ち」なるものが制度としてあり、敵討ちをはたしたら大変な名誉な事であったんです。それが明治4年にこの地であり、これが最後となりました。これ以後は敵討ちをしても殺人罪になります。

路傍の石標

桜茶屋の跡です。街道の面影を残す風景はこのあたりだけでしょうか

金剛山を望み その麓を紀ノ川が流れる

本陣跡の立派な門 今は門だけが残る

千石橋、丹生川にかかる橋で豊臣秀吉が千石の寄贈をしたと伝えられる橋

丹生川の鮎(生きて泳いでいる)を七輪で塩焼きにしてもらいました

石童丸の話で有名な刈萱堂、ここには人魚のミイラがあることでも有名です 人魚の拓本が飾ってありました

あと目に付いた草花の写真をいくつか

ホタルブクロ

ハンゲショウ

このように日曜日には近くの野山や村里、街道などを歩くのを楽しみにしています。

 父(善次)が死去したのは1996年1月29日(85歳)ですから、もし生きていれば9月6日で100歳になります。
 去る7回忌法要時の話です。集まったのは親族だけでしたが、妻も子供も、その親族と父との関係が分からず、説明するのが大変でした。この経験から『家系図』を作ろうと思い立ちました。まず母からの聞き取り調査です。母も高齢(現在96歳)ですから記憶に曖昧な部分が多く、一時立ち往生。そこで親しくしている父と母の生家筋のひとや私のいとこ(父の弟の子供)などに趣旨を告げて協力を求めたら多くの資料が集まり、協力者から家系図作成は先祖供養になるとの励ましもいただきました。
 資料を整理して、大まかな家系図としてまとめるとA4判5枚になりました。
 作成過程で気づいた事項を列挙します。
(1)私の3世代前では誕生日が弘化、嘉永、安政、文久、慶応など江戸時代の年号が続出して、明治維新は、そんなに昔のことではないように感じます。生年月日が明らかな先祖の中で最も早いのは、私の祖父の母親で弘化4年(1847年)1月1日に生まれて  昭和5年(1930年)3月23日に満83歳で死亡しています。
(2)私の2世代前までは姓名のうちの名が累代世襲というひとが数人いました。
(3)戦前には家督相続や分家制度があったのを実感します。
(4)現代の我々には想像すらできないが、戦死が数人います。
(5)昔は子だくさんですね〜〜。父は6男4女、母は2男8女で、ともに10人兄弟です。しかし、当時は天逝するひとも多くあることに気づきます。
(6)我が家系の特徴かもしれませんが僧籍(僧および尼僧)に入るひとや
、養子縁組が複数あります。
(7)家系図に登場したひとは約300人です。90年以上生存した(生存している)のは私
を母を含めて5人で、最長寿は109歳で死亡した母の姉でした。これって長寿家系???

出来上がった家系図を子供や孫に伝えたいと思っています。 ルーツ探しほど大げさでないにしても、家系図作成は新たな発見があり、感動にも通じるなにかがありますよ・・・・

はじめまして。
平成21年12月に大正区歯科医師会に入会をさせて頂き、
平成21年4月より千島にて「おかざわ歯科クリニック」を
開院させていただきました岡澤 靖彦と申します。

2000年に北海道医療大学を卒業し
現在 妻(絵美)長男 長女との四人家族です。
妻も歯科医師で二人で力を合わせてがんばっております。

私は極度の上がり症で、5年前の結婚式を思い出すと赤面してしまいます。
大勢の人たち視線をうけ、遠くからみても顔が光っているのがわかるぐらい
汗をかき花嫁が涙をぬぐうはずのハンカチで汗をふき、いまでも友達に会う
たびにひやかされております。

妻とは、中学校 高校の同級生で大学はちがうものの、知り合ってから22年
がたっています・・・・・・。
最初はしおらしかった妻も現在は恐妻化しています。

長男(5歳)はとても優しいお兄ちゃんですが、長女(2歳)は妻の遺伝子
を引き継いでいて、兄妹喧嘩では妹が勝つことが多いような・・・・・。
この先がおそろしい状態です。

こんな家族でほのぼのと生活しており、私は夜な夜なしているゲームが唯一
の癒しになっています。近々トーマスが大好きな長男をつれ、枚方パークに
行く予定なのですが、この温度差で子供たちは現在体調をくずしており、
いつになることやら・・・・・。

つまらない話ですいません。これからも宜しくお願いします。

どちらかと言えば、アウトドア派の私。ところが、歳を重ねる毎に休暇の過ごし方が変わってきました。海外旅行は別として、ひと昔前は、目的地までの移動手段として車がほとんどでした。戸口から戸口、荷物を持つ必要もなく手軽である、夜間は知るとある程度の渋滞は避けられる、当時はたいした疲れもなく快適と旅を楽しんでおりました。

いつ頃からか、すばらしい景色を楽しみながらのんびりと列車に乗り、また目的地では1日4時間位は、ひたすら歩くという形態に変化してきました。 京都のような近場でしたら、人気も疎らな京の裏通りをのんびりとウォーキング!芸術に触れる旅。和雑貨、アンティークのお店に立ち寄るなど・・・。これは思いがけない発見や少々の感動があり、なかなか興味あるものです。

例えば、京都は北、西、東、三方が山に囲まれて山のないほうが南である。木屋町通りは桜が美しい事で有名ですが、あまり知られていないため混雑がない。舞妓さんの世界は厳しい、その厳しさは「1年で3歳年をとる!」と言われている。

高瀬川に舟が通っていた頃通りの周辺には材木商が多くみられた事から「木屋町」の名がついたと言う。「先斗町(ぽんとちょう)」という地名はポルトガル語で「先端」を意味する「ポント」が由来だとか・・・。

この先、どのような旅の楽しみ方をするのでしょうか?その為にも、足を鍛えておかねばなりません。

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