父(善次)が死去したのは1996年1月29日(85歳)ですから、もし生きていれば9月6日で100歳になります。
 去る7回忌法要時の話です。集まったのは親族だけでしたが、妻も子供も、その親族と父との関係が分からず、説明するのが大変でした。この経験から『家系図』を作ろうと思い立ちました。まず母からの聞き取り調査です。母も高齢(現在96歳)ですから記憶に曖昧な部分が多く、一時立ち往生。そこで親しくしている父と母の生家筋のひとや私のいとこ(父の弟の子供)などに趣旨を告げて協力を求めたら多くの資料が集まり、協力者から家系図作成は先祖供養になるとの励ましもいただきました。
 資料を整理して、大まかな家系図としてまとめるとA4判5枚になりました。
 作成過程で気づいた事項を列挙します。
(1)私の3世代前では誕生日が弘化、嘉永、安政、文久、慶応など江戸時代の年号が続出して、明治維新は、そんなに昔のことではないように感じます。生年月日が明らかな先祖の中で最も早いのは、私の祖父の母親で弘化4年(1847年)1月1日に生まれて  昭和5年(1930年)3月23日に満83歳で死亡しています。
(2)私の2世代前までは姓名のうちの名が累代世襲というひとが数人いました。
(3)戦前には家督相続や分家制度があったのを実感します。
(4)現代の我々には想像すらできないが、戦死が数人います。
(5)昔は子だくさんですね〜〜。父は6男4女、母は2男8女で、ともに10人兄弟です。しかし、当時は天逝するひとも多くあることに気づきます。
(6)我が家系の特徴かもしれませんが僧籍(僧および尼僧)に入るひとや
、養子縁組が複数あります。
(7)家系図に登場したひとは約300人です。90年以上生存した(生存している)のは私
を母を含めて5人で、最長寿は109歳で死亡した母の姉でした。これって長寿家系???

出来上がった家系図を子供や孫に伝えたいと思っています。 ルーツ探しほど大げさでないにしても、家系図作成は新たな発見があり、感動にも通じるなにかがありますよ・・・・

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