玄関を入って居間を通り、まず、パソコンの電源を入れ、カタカタという機械的な音を確認してから冷蔵庫に缶ビールを取りにいく。プルトップを引き上げつつ、まず、メールのチェック。次は、新聞社のページを開いて、ニュースを見る。そのころには、夕食の用意ができている。家族で食事を楽しんで食後は、また、パソコンの前に陣取り先ほどの続きを始めるる。毎日ほぼ同じ事のくりかえし。

 居間の一角にそのスペースはある。本当は、個室の書斎にあこがれるのだが、住宅事情がそれを許さない。ただ、個室を持てる環境になることができても、おそらく、同じような配置にするだろう。個室にこもるというのは周りとの関係が、皆無になりがちで夫婦間、親子間のコミュニケーションが、築けないような気がするからである。妻と娘の会話や妻が、話す彼女にとっての重大なできごとに耳を傾けることが重要なことだと思っている。    

少年時代、父が仕事から帰宅して居間のテレビの前であるベストポジションに陣取る。テレビ番組は、もちろん、父が主導権を握る。画面に映し出されるのは、顔から血を流したプロレスラーや硬貨を投げる時代劇。父の帰宅が遅くなったときは、そのテレビの正面は空席となっているのだが、母は父がいないその場所でテレビを観るようなことはなかったような気がする。地方の大学に入学が決まり家を出た後、夏休みなど帰省した時も自分自身もその席に座るということが自然にできなかった。父は、その頃、小さな会社の経営者で自宅に仕事を持ち帰ることも多く、書類を眺めたり、書き物をしたりするのもその席であり、父の逆鱗に触れ子供らに説教するときもその席からであった。テレビの前の席が、父にとっての書斎であったような気がする。

15年ほど前に父が他界し、永遠に座ることもなくなったのだが実家に行ってもなぜかその席の主にはなれない。正月など兄弟が集まって鍋など囲む時も、母がその席に座ることは、まだないような気がする。父の左の台所に近いほうの席が、母の席であったが、今もそれは変わらない。

年月がたち、自分自身も家庭を持つようになった今、先に書いたように家族の声が聞こえるその場所が、自分にとっての書斎であり、ベストポジションだと感じる。

今の世の中、核家族化が進み子供たちは、自分の個室にこもり携帯電話が、唯一の心の支えになったこの時代、家族が集う場所の意味をもう一度考え直すことが必要だと思う。

これを書いているのも、夜更けのいつものその場所なのだが、みんな寝静まったあと、一人、居間の片隅のその場所でパソコンの画面をながめながら、寝酒を飲んでいるなんてことも、携帯電話世代とあまり換わらないかもしれない。

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