ランチャ・ストラトス
今年もまたモンテカルロを皮切りに、世界ラリー選手権がはじまった。今でこそラリー競技もスバルや三菱の活躍で日本でもおなじみになったが、30年前はそれこそサファリラリーぐらいしか認知されていなかったように思う。その時代、突如として現れてラリー競技のスピードを大幅に上げたマシンがある。ランチャ・ストラトス。変なスタイルの車ですよ。車幅はセルシオ並、なのに前後車軸間距離は軽自動車程も無い。後方視界は絶望的、トランクなんて申し訳程度。実用性なんてかけらもありません。それもそのはず、この車はただラリーに勝利する為にランチャ社から依頼を受けたカロッツェリア・ベルトーネが精魂込めて開発したラリー専用兵器だったからである。私的には魅力的なんだなあ!
量産車ベースじゃないから速いのなんの!中途参戦にも関わらず1974年エントリーした4戦中3勝して他メーカーを蹴落としてランチャに年間チャンピオンをもたらしてしまう。しかも翌年、翌々年とチャンピオンシップ三連覇を達成し、無敵時代到来と思われていたんだなあ。実際、1975年〜1977にかけての同一マシン同一ドライバーによるモンテカルロラリー3連勝という当時としては破格の偉業もストラトスのシワザなんですよお。
しかし、思わぬ落とし穴が待っていた。親会社のゴリ押し!イタリアの自動車会社のほとんどはフィアット社の傘下にある。量産車に関しては太っ腹にも子会社のやりたいようにさせてるくせに、ことモータースポーツになると政治力を発揮して思い切り口出しするんですな。1977年、当時フィアット社で売り出し中の中型セダン131をグループのラリーの主戦力にしたいがために、子会社ランチャのワークス活動を中止させてしまう。ついでにメインスポンサーのアリタリア航空まで横取り!ひどいじゃないですか?ヒロシの自虐ネタにもなりゃしない。
それでもストラトスの牙は抜かれなかったんですねえ。プライベート活動になってもまだまだ速く、毎年どこかで優勝してその存在をアピールし続けた。世界ラリー選手権における最期の勝利が1981年のツール・ド・コルスだから、8年間も一線級のマシンだったことになる。こんなに長期にわたって同一車両がモータースポーツ界で活躍した例は殆どないでしょう。ランチャ・ストラトスはラリー界で最も偉大なマシンだったかもしれない。
一度でいいから、モンテカルロラリー最高のステージ、雪のチュリニ峠をDinoV6の雄叫びも高らかにCARELLOの4連装ドライビングランプを誇らしげに輝かせ疾走するストラトスの姿を生で見たかったなあ!
 
(2007年2月掲載)

お問合せ・ご相談はこちら

ご不明点などございましたら、お電話もしくはお問合せフォームよりお気軽にご相談ください。

お電話でのお問合せはこちら

080-9475-8727

大正区口腔ケアステーション

大阪湾に面する渡し舟の町、大正区歯科医師会のホームページです。
歯・口腔に関する情報や、区内の歯科医院案内をお届けします。皆様からのご意見・ご要望もお待ちしております。