杉井伸也先生
平成15年1月吉日
寒さ厳しき折から、ますます御清栄の趣、誠に慶賀に存じます。さて、この度母校3年生(高校55期)の諸君には、蛍雪の功なってめでたく卒業式を迎えるところとなりました。
本校では卒業後50年の先輩方を現役の卒業式にご招待して参りました。皆様方には昭和28年(1953年)に市岡高校の5期生として巣立たれ、星霜重ねること早50年を迎えられました。これを機に後輩たちの晴れ姿に接し人生の先達として、御激励を賜りたく御案内申し上げる次第であります。
 
と言う卒業証書授与式への案内が届いた。私の卒業した大阪府立市岡高等学校は、いつの頃からか知らないが卒業50年を記念として毎年卒業式に招待することが慣例になっており、1953年卒業の私達5期生も2003年を迎え卒業後50年の歳月を経てその機会を持つ事になった。
私も卒業して昭和39年に大正区千島にて杉井歯科医院を開業し、市岡高校の関連としては患者さんの子供さんが市岡高校へ入学したとか、昭和62年3月の第59回選抜高校野球の出場に寄付を頼まれたくらいで何かと忙しく、高校生活を振り返る間もなかった。
第55回卒業証書授与式に出席して校舎が新しく立派になり玄関が当時の裏側になったように思う。出席者は30名(男性19名、女性11名)で卒業時の1割である。
出席者の名簿を見ても、又本人を見ても半数の人が分からなかった。会場(体育館)に入ると大変大きく、二階からも見える様になって立派だあーと思った。卒業生の家族も多数出席されていてお父さんお母さんも若々しく見えて、華やいだ雰囲気になっていた。入場する卒業生の服装、髪型を見て男女とも和洋装あり、特に女性のファッションを見て若い頃に遊んだキャバレー・クラブと場所を間違えたのかと思った。しかし色とりどりで青春時代を楽しんでいるように思えた。
式次第を見ても花束贈呈・送別の歌、家族の華やいだ多数の出席等を見ても今日では当たり前のようだが50年前の黒一色の卒業式を思い出しその歳月を思い起こした。
我々5期生の同窓会名簿を見ても約300名の卒業生の1割程が物故者になり、2割強の人が消息不明である。同窓会はいつ開くのか、幹事を引き受けてくれた人が他界し企画も頓挫しておりますとの報告。1日も、今日も、元気でいたいものです。大正区歯科医師会にも鳥羽英紀先生、谷田先生、坂本先生が市岡卒業生として続いています。元気で卒後50年の卒業証書授与式に出席を楽しみにして下さい。
 
(2003年9月)

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